世界から渋滞を追放するイスラエル発「信号アルゴリズム」の実力

エルサレムの旧市街の壁近くでポーズを取るアクシリオンCEOのオラン・ドロール(左)と、創業者のイラン・ウェイツマン(右)。背後を走るエルサレムのライトレールに同社の信号制御技術が使われている。


アクシリオンの技術には日本の交通インフラを手がける大手企業も関心を示している。「でも、正式な決定が出るまではもうしばらく時間が必要かもしれない」とドロールは話す。

「日本人は長い時間をかけて物事を決定する。会議で何回も話し合い、いくつものテストを重ねて決定するのが日本のスタイルだから」

そう話す彼は、エルサレム大学を94年に卒業後、日本の早稲田大学に2年間留学。97年にイスラエルと日本企業を結ぶスタートアップを設立し、2001年にイスラエルの大手システム企業に売却した過去を持つ。


アクシリオンのアドバイザリボードには、米オバマ政権下で運輸省副長官を務めたション・ホーカリ(右端)や、北米最大の公共交通企業「トランスデブ・ノースアメリカ」元CEOのマーク・ジョセフ(左から2人目)らも参加している。

「早稲田のサークルの新入生歓迎コンパで、日本人は夜中まで一緒にお酒を飲むことでお互いを理解するんだと思った。居酒屋でビールを飲みながら、その相手がどのくらい長い間、一緒に時間を過ごせる人間なのかをテストする」

ドロールは18歳から21歳までイスラエル海軍で兵役を務めた。大学を卒業し、日本に来たのは25歳の時だった。

イスラエル生まれの起業家の「宿命」

「周りは自分よりもずっと若い学生ばかりだった。同じ年頃のイスラエル人と比べると、彼らは人生を楽しんでいると思った。イスラエル人はみんな18歳で軍隊に入り、20歳になる頃には他人の命を預かる仕事をしている」

ドロールの祖父母は1930年代のポーランドに生まれ、ユダヤ人の大量虐殺の時代を生き延び、小さな船に乗って地中海を渡り、建国間もないイスラエルを目指した。

「イスラエル人はみんな辛い過去を背負っている。でも、悲惨な時代を生き抜いてきたからこそ楽天的なんだ。周囲を敵国に囲まれ、石油も水も無いこの国で、ゼロからイノベーションを起こし、都市をつくり経済を発展させ、人生を楽しんできた」

アクシリオンの究極のゴールは、世界の都市から交通渋滞を追放することだ。その上で役立つのが、ドロールがマイクロソフトの中東アフリカ部門を率いた当時に蓄えた、国境を超えて新たなイノベーションを進めていくための知見だ。

「当時の部下の大半は政府が敵とみなす、トルコやサウジアラビなどの産油国に居た。イスラエル人はアラブ側の国には入国できないため、会議はいつもケニアや南アフリカで行っていた。楽な仕事ではなかったが、テクノロジーが国境を超えることを現場で体感した。業務OSの契約の基本サイクルは3年間だ。じっくりと時間をかけて、プロダクトの良さを説明した」

敵地や国交のない土地の人間たちとも、ビデオ会議などのツールを用いて粘り強く交渉した。イスラエル人として生まれた宿命が、彼の仕事の流儀をつくっていった。

「この分野に魔法の即効薬は存在しない。公共交通という一見地味なシステムを、時間をかけて合理化していくことこそが現実的な解決策だ」

高層ビルの窓からテルアビブの渋滞を見下ろしながら、ドロールはこう続けた。「無意味な赤信号の待ち時間や渋滞ほど、腹立たしいものはこの世にない」

取材・文=上田裕資 写真=Jonathan Bloom

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