新・パリのビストロ手帖

カフェ・ビストロ「オ・シェ・ドゥ・ラベイ」

1998年の暮れに、それまで住んでいたフランスの地方都市からパリに引っ越し、年が明けてから通い始めた語学学校は、サン=ジェルマン・デプレ地区にあった。

建物の一角に食材店が並ぶ、マルシェ・サン=ジェルマンの周りには飲食店が軒を連ね、学校帰りに、窯焼きのピザやベトナム料理を食べに行った。

それらの店で食事をしていると、決まって、脇に新聞を抱え、「ça y est (サイエ)! 」と声をあげながら入ってくる男性がいた。褐色の肌は、中央アジアあたりの出身にも見えたが、彼のフランス語にはアジア人のアクセントはほとんど感じられない。いつも同じトーンで、元気よく、通る声で、新聞を売り歩いていた。

「Ça y est!」とは、「よし!」とか「うまく行った!」という意味で使う。それで、私ははじめ何か朗報があって号外が出たのを配っているのかと思っていた。でも、いつ見かけても同じように声を上げている。ある時、「そうか、あれは彼の売り文句なのだな」ということに気がついた。それから私の中では、彼の名は「ムッシュ・サイエ」になった。

寒い季節はシュー・ファルシ

マルシェ・サン=ジェルマンからサン=ジェルマン大通りをセーヌ川方面に渡ると、ビュシー通りが走っている。カフェや食材店がひしめく商店街で、通りに入り、1つ目の左の角に「オ・シェ・ドゥ・ラベイ」というカフェ・ビストロがある。

そのまま左に行けば、パリで現存する最古の教会、サン=ジェルマン=デ=プレ教会だ。昔は、店の1本教会側の道までが教会の敷地で、そこから1歩外に出た形になる店の場所は、教会の厩舎だったらしい。

1830年からは、その地で飲食店が営まれ、「オ・シェ・ドゥ・ラベイ」の名を冠したのは1947年。それまでは「ショップ・ドゥ・ビュシー」の名でビールを飲ませる店だった(ショップ=ビールジョッキのこと)。

「普通のカフェに見えるけれど、あそこはワインも料理もおいしいんだよ」と聞いたのは、もう18年くらい前のことだ。訪れて、すぐに「いいお店だなあ」と好きになった。

店のメニューは、私がこの店を知った頃から、ほとんど変わっていないように思う。当初は、よくタルティーヌとサラダを頼んでいた。この店ではタルティーヌ(オープンサンド)に、ポワラーヌのパン・ド・カンパーニュを使っている。当時の私にとっては、それだけでとてもパリ的なひと皿だった。

メイン皿に盛られて出てくるサラダも同じだ。日本ではまだ、サラダをメインに食べて食事を済ませるという食文化はなかったし、メインを張ることのできるサラダをいろいろ知りたくて好んで食べた。

なかでも、鴨の砂肝のコンフィとインゲンのサラダは大のお気に入りになった。


鴨の砂肝のコンフィとインゲンのサラダ

この店にもムッシュ・サイエは、新聞を売りに来ていた。マルシェ・サン=ジェルマンの周りだけではなく、大通りを渡ったエリアも彼の販売活動範囲のようだった。

フランス生活が長くなるに従い、私が頼むものは変化した。タルティーヌをオーダーする機会はぐんと減って、いまは一品料理をささっと食べることが多い。いちばん頻度が高いのは、シュー・ファルシである。

シュー・ファルシは、シュー=キャベツ、ファルシ=詰め物をした、の意で、ロールキャベツのことだ。でもフランスのそれは、日本のようにキュッキュッとコンパクトにまとめて、いくつかを皿に盛ることは少ない。1人前は、大きなロールキャベツが1つ、がスタンダードだ。


シュー・ファルシ

文・写真=川村明子

この著者の記事一覧へ

PICK UP

あなたにおすすめ