社会的養護の「その後」から考える、自立を強いない社会

ゆずりはは社会的養護の「アフターケア」を担う事業所で2011年に開所した


遠くを見ると、そこに明かりがついている家があって、いまは行けないけど、行きたいと思った時にはいつでも行っていいと思える、あたたかな場所。そんなイメージだと亜美さんは言う。

生活保護を受けられた、住居が見つかった、病院に行けるようになった……でも、それだけで幸せかといったらそうではない。そこでまた自分と向き合う必要が出てきたりして生まれる苦しみがある。

「そんなとき、『じゃあ、サロンおいでよ!』と集える場所がある。カウンセラーでもないし、苦しみにすごくフォーカスしてくれるわけでもないんだけど、行ける場所があることが、その人の中で大切なものになったりもする」


ゆずりはの2階。ここで相談やサロン、虐待するお母さんたちのプログラムなどを行なっている

ゆずりはの事業は、みんなで一緒に作っている感じだと言う。

「『こんな支援や仕組みがあったらいいのに』というのは、私たちにはわからない。利用してくれる人がいて、求めてくれる人がいて、ここがあってよかったという人たちが教えてくれるものなんです」

置き去りにされた苦しみを打ち明ける場所

ゆずりはが当初「あなたたちが必要だと言うことはみんな既存の福祉サービスでまかなえる」と言われたとき、そこあったのは、「もう大人なのだから」という問答無用の切り分けだろう。アフターケアを必要とする人は、すでに「児童」という年齢ではないことが多くある。

それでも児童福祉法と切り離せないと考えるのは、傷ついてきた子ども期があったために「今」苦しんでいる、という観点での支援が重要だと思うからだ。児童福祉法上、18歳になれば子ども(児童)ではなくなるが、人間はそんなに簡単に年齢で区切られ変われるものではない。

どうして自分はうまくいかないのか、自分が悪いのか……しんどさで押しつぶされそうになる人たちの傍らにいると、大切なものが育まれるはずの子ども時代に、奪われてきたものがあることを感じずにはいられない。

「うまくいかないことの根底には家族や虐待の影響があると感じます。それなのに周りからは、『もう大人でしょ』『もう親とは離れてるんだから』と言われてしまう。だけど、生きづらさの正体を見つめていくと、あのときずっと苦しかったんだ、誰も助けてくれなかった、という思いが見えてくる。子ども時代の苦しみがあるからこそ、大人の支援ではなく、児童福祉の枠組みの中でアフターケアとしてやる意義がある。大人になってからでも、苦しみを打ち明け、相談できる場所が、これからも必要だと思います」


福祉の事業所らしからぬカフェのような内装に、相談に訪れた人はまず驚く

現在、社会的養護の自立支援の強化に向けた公聴会が行われるなど、厚労省も動き出している。しかし、「自立」という言葉に苦しむ人がたくさんいるからこそ、視点を「自立支援の強化」から、少しだけ「孤立しないために何ができるか」にずらして考えてみてほしいとも思う。

自立はゴールではない。解決しきれない問題だってある。だから、つまずいたら何度だって戻ってきていいよと伝えたい。伴走型支援とは、共に走る支援だから。

連載:共に、生きる──社会的養護の窓から見る
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文=矢嶋桃子

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