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2019.09.26 11:10

「有田みかん」はなぜ、年商10億円を生む「奇跡の果実」になったのか


天候不順による被害が生んだ「1本1000円のジュース」

2000年には有限会社として法人化し、順調に売上を伸ばしてきた早和果樹園だったが、ターニングポイントが訪れる。2003年の秋から冬にかけての記録的な台風により、完熟みかんおよそ6トンが壊滅的な被害を受けたのだ。

「傷だらけになってはいるものの、『過熟』状態なので、“いま”まさに美味しい状態。けれども市場へ出荷しているうちに傷んでしまうから、6トンすべて売り物にならない。頭を抱えていたら、親父(新吾会長)が言い出したんです。『これ、搾ったらうまいんちゃうか』って」

「失敗しても、どうせ捨てるみたいなもんやし」と、近くの加工所にみかんを持ち込み、果汁を搾ってジュースにしてみた。これが目論見通り、吉と出る。糖度12度以上の甘い完熟みかんジュースになったのだ。だが、それまでみかん栽培しかしてこなかった早和果樹園には、ノウハウも販路もまったくなく、そのまま加工所に頼んで瓶詰めをしてもらい、自分たちでラベル貼りを行なった。そうして出来上がったのが、1本1000円の高級みかんジュース「味一しぼり」だ。



今でこそ道の駅やスーパーなどで1本1000円弱の「高級ジュース」をしばしば目にするが、当時としては破格の高価格ジュースだった。案の定、周囲からは「1000円なんて売れへんわ」と冷ややかな声が上がったという。

「1000円でも全然利益があがらないくらい、ものすごく原価がかかったんです。元を取るにはどうしようもなくて。400本だけ作って、市の職員さんに販路を紹介してもらったり、人づてに販売してもらったりして、なんとか完売することができたんです」

この体験は早和果樹園にとって、新たな市場を切り開く一手となった。ただ単に高級ジュースという市場を捉えただけでない。それまでは農協が価格の主導権を握り、作り手が自由に値付けできなかった。みかんは天候や流通量により値段が上がり下がりが激しい不安定さがある。だがジュースという新領域に目を向ければそうではない。「自分たちで値段を決められる」ことは衝撃とも呼べる体験だった。

加工販売に勝機を見出した早和果樹園は、翌2004年から新吾氏を中心に、本格的にみかんの加工販売に乗り出すこととなる。

2005年には株式会社化し、2006年には加工原料・製品倉庫を建設するとともに、みかんの外皮をむいて、薄皮ごと裏ごしするようにして搾る「チョッパー・パルパー方式」の搾汁機を導入。雑味のない「みかんそのまま」の風味を生かせる加工を実現できるようになった。



そして、加工販売にまったくノウハウがなかった早和果樹園は「ターゲットを決めない」独特の商品開発戦略で次々とオリジナリティのある商品を生み出した。

「商品開発なら、『ターゲットを決める』のが鉄則なんでしょうけど、ターゲットなんて考える暇はないんですよ。本当に美味しいものを作ろうと思ったら、どうしても高くなってしまう。『こんなん、売れんやろ』って言われますけど、高くなってしまうのであればどうにか売れるところへ行って、お客様にウチを選んでもらうだけの話。ターゲットという名でふるいをかけて、我々がお客様を“選ぶ”なんて、とんでもないんです」
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取材・文=大矢幸世(+YOSCA)、企画・編集=FIREBUG

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