フェット・デ・ヴィニュロンの起源は、17世紀に遡る。ヴヴェイのワイン生産者組合が行ったパレードの中で、最も功績を残したワイン生産者を称えたことがきっかけだ。
その後、徐々にパレードの規模も拡大し、若者たちは酒の神様であるバッカスや豊穣の神であるケレースに扮して祭りを盛り上げた。当時の開催間隔は、まだ3年おきや6年おきだったそうだ。
仮装した人々
そして1797年、このパレードを引き継ぐかたちで第1回のフェット・デ・ヴィニュロンが行われた。この時は2000人が収容できるステージをヴヴェイのマルシェ広場につくったという。しかし、時はナポレオンの時代。このあたりもナポレオン戦争に巻き込まれて、ワイン生産者にとっても困難な時代が続いた。
第2回が開かれたのは、ナポレオンが失脚し、国際情勢もそれなりに落ち着き始めた1819年。22年ぶりだった。以後、開催間隔20年~25年を目安に祭りは続く。
レマン湖での蒸気船や鉄道の開通など、ヴヴェイへのアクセスが向上するとともに、祭りの規模も拡大し続け、2016年にはユネスコの無形文化遺産にも登録された。第12回となる今年は、世界遺産になって初めての開催ということもあり、海外からの注目度も高いようだ。
祭りの起源となった「生産者を讃えるパレード」はかたちをかえ、現在は「スペクタクル」と呼ばれ、祭りのメインイベントになっている。フェット・デ・ヴィニュロンは、ワイン好きのための祭りではなく、まさにワイン生産者のための祭りなのだ。
フェット・デ・ヴィニュロンですごいのは、スペクタクルの会場となるアリーナを、毎回この祭りのためだけにつくってしまうことにある。今回も、わずか25日間のイベントのためだけに、第1回の開催時と同じマルシェ広場に、2万人収容のアリーナをつくってしまったのだ。100年に4回ということだから、気合が入るのもわかるが、それにしてもすごく非効率的なやり方に驚かされる。
今回のスペクタクルの総合演出を務めるのは、トリノやソチオリンピックの閉会式でディレクターを務めたダニエル・フィンジ・パスカ。出演者は5500人で、スタッフは総勢1万人にも及ぶという。