Close RECOMMEND

世界38カ国、800万人が愛読する経済誌の日本版



渋谷の「カラオケ館」で映画監督のソフィア・コッポラと。03年公開の映画『ロスト・イン・トランスレーション』のロケ地で、2人にとって思い出の場所だ。

「そんな人たちと知り合いで羨ましいと言われることがあるけど、仕事で仲良くなった人たちではないから。出会ったときは売れていなかった人も多いです。だからこそ、雑誌などで表に出していたんです。素晴らしいと思ったから」

普段通りの姿で世界中のセレブたちと写真に収まる野村を見ると、いかに彼が親しまれているかがわかる。その影響力は、広く海外の著名人にまで及んでいる。

なぜ、彼は信頼されるのか。

理由を一言で示すとすれば、それは「ブレがないから」だろう。興味がある仕事しかやらない。

どんなに高い金を積まれようと、偉い人に頭を下げられようと、嫌なものは嫌だと断る。

以下は野村が挙げた、「やらない仕事」の代表例だ。

1 自腹で買ったことがない、モノやブランドの宣伝

企業のマーケティングを手伝うときは、自分が過去に購入したことがある商品やブランドだけに絞っている。「新しい商品が出るからお薦めしてください、と頼んでくる人がいますけど、絶対受けません。人を騙しているような気持ちになるから」。

2 自分の名前を販促に使いたがる企業の仕事

 野村は自らを裏方と称する。「クライアントより裏方が出るというのは良しとしていないし、仕事をする相手だけが僕の存在を知っていればいいだけの話です」。

3 「社長が一緒に仕事をしたがっている」とオファーされた仕事

 社長が実務をやるわけではないから、というのがその理由。「下の人たちは僕と仕事する気もないから。チームとしてあまり良くないことも多いです」。

見事なまでの徹底ぶり。だから世の人々は思う。野村が勧めるモノやカルチャーなら信じられる、と。 

所属や経歴や肩書きに縛られることなく、自分の言葉や感性に従って帆を進めてきた野村。だが、今のスタイルに落ち着いたのは、30歳を過ぎてからだという。

友達も消費者も、自分も売らない

中学時代の野村少年は、一言で言えば「アメリカかぶれ」だった。流行り物が好きで、スケートボードやBMXにのめり込んだ。

付属高校に進学してからは、仲のいい友人と遊び回る日々。だが一方で、どこかに虚しさを覚えていた。

そもそも、自分とは何で、この先どう生きていきたいのか──。

大学に進学すると、その思いは一層強くなった。「旅に出れば、何か見つかるかもしれない」。

バックパックを背負って海外を放浪した。行く先々で仲間ができ、見聞が広がった。だが、生きる指針は見つからない。

そんな野村に転機をもたらしたのは、先輩が何気なく言い放った言葉だった。

「一生の仕事なんて、見つけようとしても絶対見つからないから諦めな。それよりも、やってもいいと思えることを書き出して、片っ端から手を出してみれば?」

確かに、1つに絞るのは難しくても、それならできそうだと26歳の野村は思った。

早速、手当たり次第に興味があるバイトをやった。そして運命を変える出来事が起こる。

バイト先でIDEE創始者の黒崎輝男に出会い、友人らとともに辻堂海岸に海の家をプロデュースすることになったのだ。

文=瀬戸 久美子 写真=アーウィン・ウォン

VOL.2

制御不能。それでもなぜ水原希子は広告塔であ...

VOL.4

Forbes JAPANが選ぶトップインフルエンサー50...

PICK UP

あなたにおすすめ