オーダーメイドスーツを身近に
高品質のオーダーメイドスーツは高い──この常識を覆したのが国産のオーダーメイドスーツを低価格で提供している「FABRIC TOKYO(ファブリックトウキョウ)」だ。スタートアップならではのゼロイチの発想でオーダーメイドスーツ業界に革命を起こしている。
ファッション業界からIT業界に転身した同社代表取締役CEOの森雄一郎に、自身のユニークなキャリアも交えて話を聞いた。
ファッション業界への幻滅
FABRIC TOKYOは生地メーカーや縫製工場と直接取引し、中間流通を入れずにオンラインでユーザーにスーツを直販することで低価格のオーダメイドスーツを実現したD2Cモデルのサービスだ。店頭ではスーツの陳列がなく、採寸とコミュニケーションに特化している。採寸したデータはクラウドで保存され、ユーザーはその後いつでもネットからスーツをオーダーできる。このユニークなビジネスモデルの背景にあるものは何か。
森は学生時代にファッション関連のwebメディアを運営していた経験を持つ。当時、日本で世界最先端のファッション情報を得ることができるメディアは雑誌くらいしかなく、情報が日本に入ってくるのは2、3ヶ月後のことだった。そこで森は自身でパリコレなどのショーを見に行き、現地の最新情報をwebサイトで発信することにした。
サイトは順調に成長し、スポンサーや広告での収入で生活できるほどに拡大していった。森は就職活動をせずにサイトの運営を続けていたが、より直接的にファッション業界に関わりたいと思い、ファッションイベントの企画制作会社に就職。ファッションショーやイベントの企画、プロデュースの現場で経験を積んでいった。
しかし、この業界に身を置くうちに、「閉鎖的で、年功序列で、アナログなファッション業界に閉塞感を感じた」という森は別の業界での挑戦を決意する。そのタイミングで刺激になったのが一足先にスタートアップを立ち上げ、成長を続けていた地元の知人の存在だ。
「18歳のときにスタートアップを始めてメキメキ成長している彼らの活躍は、閉鎖的なアパレル業界にいる自分からは、すごくオープンで輝いて見えました。もともと自分で事業をやりたい気持ちも強かったため、独立しようと思ったんです」
山田進太郎との出会い
森は独立に向けてスピード感の速いビジネスを学ぶため、不動産関連のベンチャー企業に転職。そこで2年弱経験を積んだ後、自分の会社を立ち上げた。越境ECやSEOコンサルなど、当時伸びてきていた別の分野でのサービス立ち上げに挑戦したが、熱意を持って打ち込めるサービスを作り上げることはなかなかできなかった。
そんな中、森はTwitterでメルカリ創業者の山田進太郎の「新しい会社を始めました」というツイートを目にする。ウノウでヒットゲームを連発し、その後Zingaに売却するなど、既に大きく成功していた山田がどんなサービスを始めるのかということに興味を持った森はすぐに山田にコンタクトを取った。優秀な社長の下でもう一度経験を積みたいという気持ちも大きかった。
社会人インターンとして創業から1ヶ月後のメルカリにジョインした森は、その後1年間メルカリの立ち上げに携わることなる。その中で、これまでの自分の経験とは異なる分野であるにも関わらず、世の中を豊かにするために積極的に挑戦していく山田の姿に触れ、森自身も「情熱を持って取り組めることで挑戦したい」という気持ちが大きくなっていった。
「進太郎は世界を一周した経験から、世界中の機会提供をフラットにするため“なめらかな社会を作る”と言っていました。そして元々成功していたゲーム業界から離れ、今はC2Cのフリマアプリに挑戦している。自分もこれまでに経験してきた業界は関係なく、自分が得意なことや情熱をもってやれることを選んだ方が良いと思いました」
自分がお客様であり続けられる事業を
森にとって自分の力で革新を起こしたい分野はやはりファッションだった。これからファッションの分野で必要とされるサービスはどんなものだろう。そう考えたとき、森は自分自身が感じている「負」に立ち返った。
彼には肩幅が広い、腕が長い、お尻が大きいといった自身の体型のせいで好きな洋服を買えないという悩みがあった。「自分と同じように体型で悩やんでいる人のために便利でクールなブランドを提供できれば喜んでもらえるのでは」。その想いがFABRIC TOKYOの原点になった。
自分自身がお客様であり続けられる事業、すなわち、いつまでも主体的に取り組み続けられる事業を創ることを森は決意した。
まずは工場探しから
サービスのイメージが固まった後、まずはスーツを仕上げてくれる縫製工場を探すところから始めた。スーツやシャツは肩幅や身幅、袖丈、背丈など、各部位のサイズをしっかりと調整しないといけないため、アパレルの中でも最も作りにくい商品の一つ。生産コストを抑えるため中国や東南アジアの工場を訪ねて回ったが、一点一点のオーダーにきめ細かい対応ができる工場はまったく見つからなかった。
そこで森はタウンページや商工会議所を使って日本での工場探しを開始した。「紳士服」や「スーツ」などで工場を調べ、上から順番に150軒以上に電話を掛け、アポが取れた工場には直接出向いてFABRIC TOKYOのビジョンやビジネスプランの説明を続けた。
意外にも、会ってくれた工場はみんなFABRIC TOKYOのビジネスに興味を持ってくれた。これまでの仕事が単価の安い海外に流れてしまい、「アパレル不況」と言われていた時代で、「新しい仕事を作っていかないといけないという健全な危機感」を持っていた工場が多かったという。
しかし、当時のFABRIC TOKYOはwebサイトすら無い状況だ。実績のないスタートアップとの取引を嫌がられ、はじめに百万円程度の保証金を求めらるケースがほとんどだった。エンジェル投資家等から数百万円の投資しかもらっていない段階では、そのうちの百万円を保証金に充てるのは不可能だった。
最終的には一社、FABRIC TOKYOの想いが伝わり、変革のためのパートナーをちょうど探していた企業と出会え、提携が決まった。保証金もかなり低い金額に抑えてもらい、ようやくプロダクトローンチまでの道筋が見えた。
メジャー片手に奔走
縫製工場が見つかったあとは、オーダーメイドスーツの原型となるベースの「パターン」作りに取り掛かった。完全にすべてのパーツをお客様のサイズに合わせて作るフルオーダーとは異なり、イージーオーダーと呼ばれる方法ではいくつかのベースとなるパターンからお客様のサイズに合わせて微調整を行うことでコストを抑えたオーダーメイドスーツが可能となる。
これまでのオーダースーツのメインのターゲット層は40、50歳台だったが、FABRIC TOKYOのターゲットは若いビジネスマンだ。顧客の体型や求めるシルエットが大きく異なるため、FABRIC TOKYOオリジナルのパターンを作る必要があった。20、30歳台の若いビジネスマンが好むブランドのショップをすべて回ってスーツとシャツのサイズをメジャーで計測、それらのデータを詳細に分析し、FABRIC TOKYOオリジナルのパターンを作り上げた。
モノづくりの現場にITスタートアップの手法を導入
縫製工場とパターンが揃った後はいよいよ製品の製造だ。スーツを作るために生地が必要だが、生地を仕入れる際の最低ロットは100ー200m。ジャケットを1枚作るのに必要な生地は2mほどなので、1パターンのジャケットでも柄や色のバリエーションを揃えようとするとジャケット数千枚分の生地を持たないといけなくなってしまう。
ここで製造を諦めるケースや、在庫を大量に持ってしまい後々のビジネスが立ち行かなくなるケースも多いと思うが、森はITスタートアップで培った経験が活かしてこの壁を突破した。まずは本当に着心地の良い商品を提供できるか、そして実際に使ったユーザーがサービスに価値を感じてくれるか、その2点さえ検証できれば良い。そのために森は思い切った決断を下す。
web上でのデータ管理とオンラインでの注文、フィット感のあるスーツといったFABRIC TOKYOのコアの顧客体験をテストするために、パターンや生地のバリエーションを極限まで削いでサービスを開始したのだ。サービス開始時に用意したスーツのタイプは1パターンのみで、生地は5種類だけ。そしてその生地も余りの生地をもっている会社と交渉し、シーズン落ちをメーター単位で買い取ることに成功した。
IT業界では製品やサービスを開発する際に、価値を提供できる最小限の機能に絞ってサービスを開始し、ユーザーからのフィードバックをもらいながら次の改善につなげる「MVP(Minimum Viable Product:実用最小限の製品)」というアプローチが一般的だ。これによりユーザー体験やニーズを検証しながらスピーディーにサービスの品質向上、事業拡大を実現できる。FABRIC TOKYOはリアルなモノづくりの現場でもこれを実践し、効率的なサービス改善と拡大を成し遂げた。現在ではデータドリブンでパターン・生地の需要予測を行うまでに進化し、生地の種類も500種類まで拡大、そのうちの半分がオリジナルの生地だ。
経験と行動力の掛け合わせによるゼロイチの推進
FABRIC TOKYOのケースでは、森の「自分がお客様であり続けられる事業を創りたい」という想いがゼロイチの根底にあった。しかし、そのゼロからサービス開始のイチまで歩みを進められたのは、森の別業界での経験と泥臭く動き続けられる行動力によるところが大きい。
ある業界の常識を他の業界に転用させることでイノベーションに繋がることは多い。そういった転用のアイデアは課題に直面したタイミングで、知識や経験から湧き出てくるものだ。
FABRIC TOKYOでも森のITスタートアップでの経験がスピーディーな事業開発、拡大に繋がっている。そして、新しい挑戦をしようとすると様々な障害が立ちはだかり、大抵は不可能だと言われてしまう。しかし、そこで諦めずに泥臭く動き続けることで一歩一歩前進できる。
今ではアパレル業界でも一目置かれる存在となったFABRIC TOKYOだが、スタート時にはタウンページを見ながら電話を掛け続け、アパレルショップを一軒一軒回ってメジャーでサイズを測っていたのだ。この事実は事業開発で悩んでいる人の背中を強く押してくれるはずだ。
諦めて歩みを止めない限り、事業開発は失敗しない。たとえ間違った方向に進んでいたとしても、行動して選択肢を減らせたことで次の一歩を踏み出せる。自分の経験と感を信じ、考えうるすべての行動をとっていけば、着実に次の段階に進んでいけるだろう。
連載:ゼロイチの創り方を考える
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