分断の焼け野原に新たなコモンセンスは生まれ得るか? 「表現の不自由展・その後」の騒動に寄せて

「表現の不自由展・その後」展に展示された「平和の少女像」(筆者撮影)


もちろん、これほどの騒動となった国際芸術祭の芸術監督としての発言には、社会的にも法的にも大きなリスクが伴うでしょう。けれども、人類の歴史を辿れば、正義を為して、あるいは、社会に対する異議申し立てをしたかどで時の司法から有罪を宣告された人物は枚挙にいとまがありません。日本のインターネットの黎明期よりメディア・アクティビストを自認してきた津田氏がそのような事態を恐れているとは到底思えません。
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芸術祭の企画アドバイザーであった東浩紀氏は、8月14日にすでにその職を辞していますが、ぼくとしては、何らかの方法で東氏を再び巻き込み、津田氏と共に、今回の騒動を徹底的に検証する機会を作るべきだと考えています。

なぜなら、東氏こそが、津田氏のあいちトリエンナーレ芸術監督就任から当該企画展の計画、及びその後の一連の騒動に至るまでをもっとも冷静に目撃していたはずの人物であり、また、この一連の騒動を丁寧に振り返る機会を建設的にファシリテートできる力を持っている、ほぼ唯一の人物だと考えているからです。

そして、その検証の結果を報告書なり書籍なりにまとめ後世に残すことが出来れば、それが今回の騒動の一番良い終結方法なのではないかと思っています。
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大村秀章愛知県知事の騒動初期の立ち振舞は、憲法理念に則った正しい行動だった思います。もし自分が現在の大村知事の立場であれば、トリエンナーレ最後の数日を狙って抜き打ちですべての展示を再開させ、「表現の自由を守った知事」になろうとするかも知れないなと思います。

実行委員会が主張する「表現の自由の侵害」への抗議を示すために作品を閲覧不能な状態にしている海外作家たちには、一連の騒動の文脈も含め、きちんと事実を伝えたいという思いがあります。そのためにぼくは、ぼくの知る事実をできるだけ丁寧に記し、またそれを翻訳し、自分のSNSに公開し、そのURLを彼らに伝えてきました。

残念なことにそれへの反応はこの原稿を執筆している時点で皆無ですが、彼ら彼女らがもし今後事実を咀嚼したとして、その後それぞれがどのような行動に出るかについては興味があります。

連帯を表明した日本人作家たちとは、出来れば全員の方々とお話しをし、それぞれの立場から見えたものについて考えを交換したいと思っています。何人かの方とはすでに直接お話しをさせていただきましたが、引き続き機会を捉えていきたいと考えています。

実行委員会が自身のウェブサイトや記者会見で表明している意見や主張については、彼らの本気として受け止めています。ただ、少数派の立場からの絶対的正義の行使は、人々をその場所から遠ざけてしまうばかりだとぼくは考えます。なぜならそれは、端的に言ってとても怖いことだからです。今後はできるだけ柔らかな言葉を選び、自分たちの主張を続けたらよいのではと思います。その方がきっとその主張は、より遠くまで届くのではないかと思います。


「最期の時という究極的に『弱い』状態を想起して文章を書く時、その個人の価値観が赤裸々に表出される」

ぼくたち「dividual inc.」の出品作については、当該企画展の中止との関連で出品を取りやめたり、作品の改変を行ったり、あるいは、現在一部の出展作家たちが検討している作品名の変更を行ったりといったことは今のところ行わないつもりです。

なぜなら、この作品は、芸術監督である津田氏が東氏とともに練り上げて掲げた「情の時代」というコンセプトに呼応するかたちで生まれたものであり、不特定多数の方々からの無数のテキストの投稿により成立している作品だからです。

テキスト投稿者の中には、当該企画展について賛同する人もいれば、反対する立場の人もいることが想像されます。「万人が生の有限性を意識する場」という本作品のコンセプトは、政治思想の左右に分断された今日の社会に対するひとつの対案でもあります。これをあいちトリエンナーレ2019の最終日まで大切に育み、その完成を見届けることが、「情の時代」をコンセプトに掲げるあいちトリエンナーレ2019に出品した作家としての義務だと考えています。
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文=遠藤拓己

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