分断の焼け野原に新たなコモンセンスは生まれ得るか? 「表現の不自由展・その後」の騒動に寄せて

「表現の不自由展・その後」展に展示された「平和の少女像」(筆者撮影)


改めていうまでもなく、言葉は発せられたその瞬間から人々のあいだを伝播していきます。そして、言葉が一旦伝播を始めたら、その影響範囲をコントロールすることは誰にもできません。だからこそぼくたちは、社会に対する最大限の誠意をもって丁寧に言葉を選択し、その状況にふさわしいトーンとリズムで、それを発しなければなりません。
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もしぼくたちにいつか、新たなコモンセンスを共有できる未来が訪れるのだとしたら、それはおそらく、このようなプロセスを不断に積み重ねたその彼岸に生まれ出ずるものなのではないかと思います。

「検閲」「表現」「自由」「権利」「テロ」「連帯」。当該企画展をめぐっては、口にすればある種の高揚を感じ、耳にすれば本能が刺激される類の言葉がエスカレーションを繰り返し、事態は滑稽とすら思える方向へと動いてしまいました。その状況は、残念ながら、元々そこにあったはずの問題からぼくたちをどんどん遠ざけてしまっているように感じます。

津田大介氏のやるべきこと
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実行委員会は先日、展示再開を求める仮処分を名古屋地裁に申し立てることを明らかにしました。事態が法廷に持ち込まれることとなったこのタイミングで、それぞれの関係者は今何を考え、どのような行動をとるべきでしょうか。

津田氏があいちトリエンナーレ2019の芸術監督に選出されたことについて、ぼく自身は今に至るまで、とても良いことであったと思っています。長年ジャーナリスト/メディア・アクティビストとして最前線の現場で活動してきた津田氏に対してぼくは、芸術の門外漢としての突破力、変革力に多いなる期待を寄せてきました。

その上で、現在の津田氏には、あいちトリエンナーレ2019を楽しみにしていた観客の方々が、そこにあるはずだった作品のすべてを観ることができなくなってしまったことに対して、大きな責任があると思います。また、「表現の自由が侵害されている」という「最強の主張」を、左翼を自認する実行委員会にさせてしまう状況を作ってしまったことへの責任も小さくないと思います。

ではその責任をどのようにして果たすべきか。ぼくは、津田氏が芸術監督として体験したすべてを一日も早く公開した上で、今後の方針について明確な意思表明を行うべきだと考えます。なぜならトリエンナーレには会期があり、来月10月14日には閉会を迎えてしまうからです。


「表現の不自由展・その後」が開催された愛知芸術文化センター

この騒動はおそらく、トリエンナーレ閉会後にはあっという間に風化するでしょう。いや、もしかしたらすでに半分以上風化しているのかもしれません。いずれにしても、この騒動が跡形もなく消費され尽くしてしまう前に、当該企画展を実施した経緯やその意義、成功と失敗、さらには、一連の騒動から垣間見えたであろう「情の時代」の問題点を、芸術監督自らが明確に整理し、人々に語り伝える責任があるのではないかと考えます。
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文=遠藤拓己

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