分断の焼け野原に新たなコモンセンスは生まれ得るか? 「表現の不自由展・その後」の騒動に寄せて


「大規模な言論テロ」という表現への違和感

当該企画展に対して向けられた直接的な脅迫行為については、明らかな犯罪行為です。また、政治家による恫喝や政治的圧力については端的に言って憲法違反です。

実行委員会にとって、こうした脊髄反射的な反応は想定の範囲だったであろうと想像します。しかしながら、彼らが自身のウェブサイト上で、一般市民からの反感をも一様に「大規模な言論テロ」と断じていることには大きな違和感を覚えます。自由な批評が担保されるのもまた表現の自由によるものですし、そもそもテロリズムとは一般に、政治的な目的を達成するために暴力および暴力による脅迫を用いることを指して使う言葉です。

また、実行委員会が、当該企画展の内容に関する主催者からの事前調整の打診を「検閲だ」として言下に拒否したり、主催者による当該企画展の中止処置を「戦後日本最大の検閲事件」と断じたりしていることにも、表現の行き過ぎを感じます。

一般に、芸術監督や学芸員が出展作品に主体的にコミットすることは職務上極めて自然な行為です。また、芸術祭の主催者には、観客たちの安全を確保する責任があります。

では出展作家の職務は何かと言えば、限られた条件の下で、その空想力や妄想力によって、今まで世界の誰もが気づくことのなかった点と点をアクロバティックに接続してみせたり、あるいは、それまで誰もが当たり前だと考えていたものの関係性をそっとずらしてみせたりすることで、その作品のインパクトを最大化することにあります。

例えばヨーロッパを拠点に活動する「UBERMORGEN.COM」が2005年に発表した作品「GWEI」(Google Will Eat Itself)は、グーグルのアドセンスの仕組みをハッキングして得た収入で同社の株を自動購入する作品を公開することにより、インターネットにおける同社の独占的な存在に異議を申し立てることを企図した、創造的ユーモアに溢れる優れた作品でした。

古典的ないがみ合い

今回の一連の騒動を通じてぼくは、異なる政治的信条やその表現方法を巡り、主にツイッターを舞台とした炎上や脅迫、「反テロ」という名を借りた発言が、次第に言葉の暴力へとエスカレーションするさま、あるいは少数派による絶対的正義の行使とそれを嫌悪する人々による古典的ないがみ合いを目の当たりにすることとなりました。
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文=遠藤拓己

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