99ドルの遺伝子検査キット。医療制度に挑むシリコンバレーの申し子

23andMe創業者兼CEO アン・ウォジスキ


ウォジスキがブリンと出会ったのは、1998年に姉のスーザンがメンローパークにあった自宅のガレージを、“世界を検索可能にしようとしていた”ふたりの博士号持ちに貸し出してからのことだ。このふたりこそが、グーグルの共同創業者であるラリー・ペイジとブリンだった。姉スーザンはグーグルの16人目として事業に参画し、ユーチューブのCEOとなった(今年のセルフメイド女性富豪44位)。ウォジスキとブリンが結婚するのは2007年のことだ。

ウォジスキが最初に医療制度と闘おうと考えたのは、生物学を専攻したイェール大学を1996年に卒業し、ウォール街でアナリストとして働いていたときのことだった。昼間は医療費請求会議に出席し、夜はマンハッタンにあるベルビュー病院でボランティアをしていた経験から、医療産業がいかに予防治療ではなく利益の最大化を追求しているかを痛感したという。

2003年、ヒトゲノムが初めて解読され、科学者たちはその暗号解きに夢中になった。そのころウォジスキが出会ったのがリンダ・エイヴィーだった。エイヴィーは生物学を学び、カリフォルニア州サンタクララの遺伝子検査会社で研究プログラムを作っていた。ふたりは05年12月、ディナーを共にしながらブレインストーミングを始めた。話は早かった。すぐに共同創業を決め、エイヴィーは元上司のポール・クセンザを3人目の共同創業者および業務執行のトップとして引き入れた。

こうして立ち上がった「23アンドミー」は、グーグルやブリンに加え、ニューエンタープライズアソシエイツやジェネンテックといった数社の外部投資家から900万ドルを調達した後、07年11月に最初のプロダクトを発売する。このときの価格は999ドル。顧客はこの検査を通じ、自分の祖先について、そして将来的に頭髪が薄くなる可能性や心臓病などのよくある疾病を発症するリスクについて知ることになった。23アンドミーは、「医学的なツールとしてではなく、人が自分のDNAに関する知見を得るための楽しい方法」として自らを宣伝することで、FDAの規制を回避した。


08年にマンハッタンで開催された“唾液検査パーティー”にて、左から23andMe共同創業者のリンダ・エイヴィー、ウェンディ・デン・マードック(メディア王ルパート・マードックの当時の妻)、ダイアン・フォン・ファステンバーグ、アン・ウォジスキ。

999ドルという値札に動じない人々に向けて、23アンドミーはダボス会議やニューヨークファッションウィークなどさまざまなイベントで「唾液検査パーティ」を開催した。ナオミ・キャンベルやダイアン・フォン・ファステンバーグ、ルパート・マードックなどの著名人が、小さなチューブに唾を吐き出した。パーティは盛り上がったように見えたが、検査サービスの市場拡大は遅々として進まなかった。その間、ナビジェニクスなどの競合他社は姿を消していった。創業から5年後の11年になっても、顧客は10万人ほど。23アンドミーは、ビリオネアの妻のお遊びに過ぎないとも言われた。

12年になり、遺伝子解析のコストが急激に低下したおかげで、23アンドミーも製品価格を99ドルに引き下げることができ、これが売り上げを伸ばすきっかけとなった。13年10月には量販店のターゲットと交渉を進め、同年のホリデーシーズンを前にして、大々的な店頭販売が予定されていた。23アンドミーの検査キットが、ビタミン剤や体温計とともに店頭に並ぶのだ。
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文=ビズ・カーソン&キャスリーン・チャイコフスキー 翻訳=木村理恵 編集=杉岡 藍

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