彼女の名は、宮口礼子(みやぐちあやこ)。2013年、まだ草創期だったブロックチェーン業界に飛び込み、アメリカのビットコイン取引所「Kraken」の運営に携わった彼女は、業界内では知らない人がいないほど著名だ。
日本ではブロックチェーンというと、仮想通貨による投資や投機のような文脈で語られることも多い。しかし宮口は、「ブロックチェーン技術を使って、人身売買などで被害に遭った子どもたちを救いたい」と語り、コミュニティの力で通貨を生み出すアイデアや、非中央集権型のシステムゆえの新しい組織の形など、さまざまなプロジェクトに携わっている。
宮口はブロックチェーン技術をどのように捉え、イーサリアム財団ではどんな未来を目指しているのか。「元教師」であることが今に生きていると話す彼女に、これまでのキャリアを振り返りながら語ってもらった。
根っからのブロックチェーン人間
──キャリアのスタートは高校教師だと伺いました。
10年ほど英語教師をやっていました。教師だった頃は周りから「天職だ」と言われており、自分でもやりがいを感じていました。でも毎日アウトプットしてばかりだと、いつか出し尽くしてしまうのではないか、教える立場だけで自分は学ばなくてもいいのか──そんな危機感を抱いていました。
それで思い切って辞めて、渡米してMBAを取得しました。天職だと言われた仕事を辞めたからには、とりあえずやれることは全部やってみようと思っていました。日本では「教師」と「ビジネス」は距離が遠いけれど、私が飛び込んだサンフランシスコでは、教師だからといってビジネスができないとは思われず、私個人をフラットに見てくれます。それは驚きでしたし、ありがたかったですね。
──ブロックチェーンとは、どうやって出会ったんですか?
もともと好奇心が強く、渡米後にさまざまな活動をしていました。その1つがアフリカの貧困をサポートすること。紛争地域の難民など、世界で25億人もの人々が銀行口座すら持てないのが現状だと知りました。
ブロックチェーンに出会ったとき、直感的に、マイクロファイナンスとビットコインが結びつけば、この問題をサポートできるのではと感じたんです。
2013年当時、まだ興味を持ってくれる人はほとんどいませんでしたが、「これは世の中を変えるのでは?」と感じ、もっと知りたい、学びたい──ブロックチェーンが社会を変えるのを目の当たりにできる場所にいたいと考えました。偉くなろうと思ったわけではなく、面白さ、好奇心が勝ったんです。