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「全米球場跡地巡り」に感じるロマン


「マズ」の愛称で地元ピッツバーグのファンから愛されたビル・マゼロスキー二塁手もまた、古いグローブを使い続けた選手の一人だ。彼は、1956年にメジャー・リーグ・デビューし、1972年に引退するまでの17年間、僅か3個のグローブしか使わなかった。あまりにもくたびれたマゼロスキーのグローブは、「パンケーキ」と呼ばれ、チームメイトからからかわれ、いたずらでグローブにバターとシロップをかけられたことがあった。

それでも、彼は、球場近くの靴屋でその愛用グローブを修理し使い続けた。彼はゴールド・グラブ賞ができた翌年の1958年からこの賞の常連となり8回も受賞した。通算守備率は9割8分3厘と驚異的。成功させたダブルプレイ1706回はメジャー・リーグ記録となった。そして、2001年には野球の殿堂入りを果たした。守備の名手である彼のグローブは、彼のプレイを支え続けた。

一方、打撃の方では、通算本塁打数163本、通算打率2割6分、通算打点853打点は、オールスターに10回選出され、殿堂入りした選手にしては少し寂しい数字だ。そんなマゼロスキーを一躍ピッツバーグの英雄にしたのは、1960年にヤンキースとの間で行われたワールド・シリーズで放った1本のホームランだ。場所は、今はなき、フォーブス・フィールドだ。

この球場でマゼロスキーがサヨナラ本塁打を打ったのは、1960年10月13日のワールド・シリーズ第7戦の9回裏だ。この試合、先制したのはパイレーツだったが、8回表にヤンキースに逆転され4対7となった。その裏、パイレーツは、ハル・スミスの3点本塁打などで一挙5点入れ、9対7と再逆転に成功。

しかし、9回表にヤンキースは、ミッキー・マントルのタイムリーなどで2点入れて9対9の同点となった。その裏、ヤンキースの投手は、ラルフ・テリーに代わり、先頭打者は8番のマゼロスキー。1ボールからの2球目、マゼロスキーの放った大きな当たりをレフトを守っていたヨギ・ベラが見上げた。レフト後方にある406フィートの表示の煉瓦のフェンスを越え、地元ファンの歓喜の中、劇的な幕切れとなった。

この1960年のワールド・シリーズは、メジャー・リーグ16球団制として最後のシリーズの最終戦で、マゼロスキーが放った本塁打は、メジャー・リーグ史上初となるシリーズ優勝決定決勝サヨナラ本塁打となった。他にこの快挙を成し遂げたのは、1993年のジョー・カーター(元ブルージェイズ)だけだ。そのカーターが生まれた年はマゼロスキーが本塁打を放った1960年というのも奇遇だ。

僕はこの球場の跡地が大好きで2回も足を運んだ。ここを訪れると、マズが本塁打を打った日から50年以上の歳月が経った今でも、地元ピッツバーグの人々がこのワールド・シリーズ優勝を誇りにすると共に、マゼロスキーを英雄として称えていることがうかがえるからだ。

文=香里幸広

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