ボランティアは単なる人助けではない。アラスカの車椅子レースから学んだこと

写真=Atsuko Sakai -Hikari Green-

筆者は20歳のとき、アラスカで海外ボランティアを経験した。アラスカで開催される米国最大の車いすレースで、レースの最初から最後まで、出場する選手に朝から晩まで付き添い、体調面や食事など競技中に起きるすべてのことについて付きっきりでサポートするものであった。

留学経験はなく、当時はそれほど英語ができなかったが、とりあえず勢いでチャレンジした。だが、このアラスカでの経験を通して、私はボランティアについて真剣に考える機会を得た。人助けという概念について、この経験を交えて書きたい。

車いすレースは、オーロラで知られる内陸部の都市フェアバンクスからアラスカ州最大の都市アンカレッジまでのおよそ430キロのコースで行われる。身体に不自由がある車いすの選手が7日間かけて走り抜けるという過酷なもので、レースの様子は現地のTVで中継されていた。

選手は合計で20人前後で、選手ひとりに対しふたりのサポートボランティアが付く。私はエルサルバドル人選手のサポート役となった。

日本人は私ひとりだったこともあり、ボランティア班のリーダーは「日本から来た君にとって良い異文化交流になるように」と、選手サポートの相方として北極圏の先住民イヌイットの女性とペアにしてくれた。

このイヌイットの女性からは、何度も「日本人って自分でテントも組めなくてバケツも持てない、ひ弱な人種なんでしょう?」とからかわれた。私は自力で現地の複雜なテントを素早く組んで彼女を驚かせ、日本人としての威厳を何とか見せつけた。

このレースは選手に限らず、ボランティアも相当ハードなものたった。朝4時前後に起きてホテルまで選手を迎えに行き、朝から晩までずっと選手につきっきり。夜はテントを組んで野宿する。ある日は「この森はクマが出るから気を付けてね」と言われた場所でテントを組んだ。

助けられる側がいるからボランティアが成り立つ

ボランティアを経験したことがなかった私は、この経験を通して、ボランティアのあり方について大いに考えさせられた。

例えば、選手に「May I help you?」と聞いたら「君の助けなんて要らない、いちいちその言葉を使うな」と言われた。

この言葉は、私に大きな気付きを与えてくれた。
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文=Atsuko Sakai -Hikari Green-

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