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4月18日、ズームの従業員や投資家たちは、NYタイムズスクエアで流されたライブ映像経由でIPOの式典に出席し、エリック・ユアンCEOに手を振った。もちろん、ライブ映像はズーム経由で世界中に配信された。

小学4年生でビジネスの道に


中国東部の山東省で鉱山技師の息子に生まれたユアンは、小学4年生のとき建設資材のスクラップを集め始めた。銅をリサイクルして現金に換えるためだ。この若き実業家は、リサイクル施設が必要としているのは金属だけだと知ると、隣家の裏にあった鶏小屋でスクラップを燃やして余分な物質を取り除こうとした。その結果、ユアンはこの最初の起業活動で隣家の小屋を全焼させてしまった。

「両親は、とても怒っていました」

山東科技大学で応用数学とコンピュータサイエンスを学び、修士課程在学中に22歳で結婚。いつか会社を立ち上げると確信し、ビル・ゲイツのような起業家に魅了されていたユアンは、米国のテックブームに狙いを定めた。言うは易し、行うは難し。最初の1年半、ユアンのビザ申請は米国移民当局から8回も却下されたが、諦めなかった。

1997年の夏、ユアンはカリフォルニア州ミルピタスにあった創業2年目のWebex(ウェブエックス)に入社した。金曜日は徹夜でコードを書き、そのまま土曜日の午後、草サッカーに興じるのが常だったという。ドットコム・バブルの熱狂のなか、より高速化するインターネットを利用したビデオ会議ツールWebexは2000年7月に上場し、07年に32億ドルでシスコに買収された。

ほどなく、ユアンはWebexのエンジニアリング・グループのトップとなったが、10年になるころには不満を抱くようになっていた。Webexのシステムは、ユーザーが会議にログインすると、まず実行すべきデバイスやそのOSのバージョンを特定するため動作が遅くなったし、会議に参加しているユーザーが多くなると接続に負担がかかり、音声やビデオが途切れ途切れになった。モバイル機器向けの画面共有などの最新の機能も欠いていた。

ユアンは1年にわたり上司相手にWebexをつくり直したいと粘ったが、11年には断念してシスコを辞めることにした。最大の難関は妻の説得だった。

「妻にはこう言いました。『長い道のりだし、とても大変なことなのはわかっている。でも、挑戦しなければ後悔することになる』って」

ユアンは友人たちに声をかけて資金を集め、30人のエンジニアを雇ってビデオ通信用のより優れた技術を開発し、それを基盤にアプリをつくろうとした。だがほどなく、自分がビデオ会議ビジネスに的を絞りたいと思っていることに気づく。マイクロソフトがスカイプを所有し、グーグルもハングアウトでこの市場に参入、いまだシスコが最大の市場シェアを握っていた時期だ。ベンチャー投資家たちはユアンの方針に懐疑的で、出資を差し控えた投資家もいた。

カリフォルニア州サンタクララにあった当時のズームのオフィスはボロボロで、エレベーターはたびたび故障し、自社のミッションに不可欠なビデオカメラは安物の冷蔵庫の上に置かれていた。ユアンとそのチームは、このオフィスで2年近くにわたってひっそりと製品開発に取り組んだ。

文=アレックス・コンラッド  写真=イーサン・パインズ  翻訳=木村理恵

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