同じ釜の飯を食べて事業アイデアを磨く「トキワ荘」の存在


橋寺自身も優れた研究者であり起業家だ。上野製薬で14年間、緑内障や便秘症の薬の研究開発に取り組んでいたが、01年に同社が事業部をスピンアウトすることを決定。アールテック・ウエノへ転籍して代表取締役に就任し、08年のヘラクレス市場(現ジャスダック)上場まで中心的役割を果たした。アールテック・ウエノ上場後、事業を任せられる体制が整ったことから橋寺は会社を離れ、しばらくは京大の大学院で医学と経営を学び、薬剤師としてのんびり働いていた。

そんな日々を変えたのが17年7月、アールテック・ウエノの共同創業者で、アメリカでも大きな成功を収めた久能からの連絡だった。かつて共にベンチャーを上場に導き、経営者としての手腕をよく知る橋寺に「一緒にやらない?」と声をかけたのである。

「私たちの強みは、自分自身がアントレプレナーであるところです。お金を集めるところから始め、リスクを取って起業家たちを支援します」(橋寺)

アメリカでは寄付で事業を運営することが可能だ。しかし、日本ではそうはいかない。フェニクシーを創業した橋寺らは、国内の大手企業をまわって経営トップにコンセプトを熱く語った。プロフィットと社会課題の解決。これを両立させ、SDGsに直接的に貢献することが21世紀型のビジネスモデルだ、と。

さらに、大企業のトップたちは「共に暮らす」というコンセプトがユニークだと面白がってくれた。結果、第一期では東京海上ホールディングス、富士フイルム、ダイキン、味の素、オムロン、NISSHA、三菱ケミカルホールディングスといった企業の参加が決まった。

toberuの場所を京都大学のすぐ側に設置したのは、京都がベンチャー創生に必要なエコシステムを日本の中でも突出して備えていることが理由だ。グローバルレベルのハイテク製造業、ノーベル賞受賞者を多数輩出する京都大学をはじめとする大学、そして世界に冠たる文化と歴史が京都には存在する。すでにtoberu2号の候補予定地も選定を済ませ、今後はさらに参加企業を増やしていく計画を立てる。

「たとえ会社を辞めても、その事業を実現したい。ここにはそんな強い情熱を持っている人が揃っています。彼らが日本のユニコーン・ベンチャーの魁となることを確信しています」と橋寺は語る。「日本型スーパーエコシステム」と彼女たちが称するインキュベータの存在が日本の「眠れる才能」を覚醒させるに違いない。


橋寺由紀子◎神戸女子薬科大学卒業後、上野製薬医薬品事業部に入社。アールテック・ウエノに転籍。2006年代表取締役就任。13年京都大学経営管理大学院修了、18年3月フェニクシーを設立した。

文=大越 裕 写真=井上陽子

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