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2019.09.14 10:00

少子化から考える、老後「2000万円問題」

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妻子とともに訪れた実家の夏休みであった。男は介護ホームに預けている足腰の不自由な老母を連れ帰り、久しぶりの団欒に寛いでいた。認知症が進んだ彼女は、歯のない口で駄菓子をしゃぶりながら、孫たちの歌ににこやかに拍手を続けている。だが、先ほどから何か異臭がする。「あっ、おばあちゃんが大変だ」。長男の悲鳴に男が駆け付けると、異臭の原因は老母だった。

大小の失禁で、背中から首筋まで糞尿まみれである。男は長男と力を合わせて浴場まで運んだ。重い。間断なく食べ続ける彼女は肥満の極にある。母は事態がわからず、唱歌を口ずさみながら手を叩き続ける。

暑い盛りだ。汚物を洗い流しながら汗が噴き出る。「毅然としていたお母さんだったのに…」。男の目は真っ赤である。額から流れ落ちる汗ではなく、止めどもなく湧く涙のせいだった。

私の世代の多くがこうした体験をしている。世の中では、挙げて高齢化問題が語られ、他方で少子化問題への対応が検討されている。これらは別々に議論されることが多いようだが、どうも表裏一体のような気がする。

介護の壮絶な現場と、それに追い回される親の姿を目の当たりにした子どもたちは、何を感じるであろうか。自分の親たちは子どもだけではなく、その親も養わなければならなくなっている。60歳前後の親世代は子育てが一段落したかと思ったら、間髪を入れずに彼らの親の世話に入ることとなる。子育て20年余り、親の面倒20年余りと、親世代は都合50年間もの扶養を続ける事態になっている。

やがてこれは子にも訪れる。子にとって、両親2人はいわば所与の扶養家族である。そんな状況では、子どもを2人も3人も持つ余裕はない。だから少子化問題の原因のひとつは、高齢の要扶養親の増加にあるのではないか。

冷徹なようだが、60歳くらいで親が亡くなれば、あまりこの問題は起こらないだろう。80歳、90歳へと寿命が延びることは、彼らへの扶養期間が20-30年間に達することを意味する。生まれた子どもが独立するまでの年月に相当する。この大きな負担を目の当たりにした子世代は、子どもづくりに躊躇するのではないか。

データを見てみよう。生産年齢人口と65歳以上のシルバー層人口の比率である。戦後の25年間は11:1程度、次第にこの比率は低下し、1980年代からの20年間では5:1くらいに、そして21世紀になると3:1、いまや2:1にまで接近している。

要するに、高度成長期には、働く世代10人以上でシルバー層1人の面倒を見ていたのに、いまや2人で1人の世話をしなければならない。単純化すると、現役世代にかかる親への負担は、かつての5倍、なのである。実は公的年金の根っこの問題がここにある。現役がリタイア層を養う、という賦課方式が容易ならざる局面に入っている所以だ。親の世話にかつての5倍のエネルギーを割かなければならないいまの現役世代には、何人もの子育てに向ける余力はない。

そこで、大和総研のスタッフにお願いして、高齢者を扶養する負担と出生率との長期の相関関係をはじいてもらった。ごく荒っぽい試算ではあるが、驚くべきグラフが二つ示された。戦後70年間の高齢者扶養の負担増と出生率低下の相関係数を、ひとつが0.764、もうひとつは0.863と打ち出したのである。これらのみで断定はできないが非常に強い相関ではないか。
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文=川村雄介

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