カジノ経営で天国も地獄も見た「父の娘」の闘い

『モリーズ・ゲーム』上映会に出席したジェシカ・チャステイン(左)とアーロン・ソーキン監督(Getty Images)


あるトラブルからプレイヤーXが元のクラブに戻ったことをきっかけに、モリーのクラブから一斉に客が引いてしまうのだが、めげない彼女はニューヨークに移って再度チャンスに賭ける。一度失敗しても返り咲くのは、かつてモーグルで脊椎損傷した後に復帰したしぶとさが生きている証拠だ。
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女性のプレイメイトを何人も雇い、大金をかけて高級ポーカークラブを開くモリー。「大金を賭けたくなる香り」を換気口から流すという作戦にはそんなものまであるのかと笑ってしまうし、凄腕の美女揃いのプレイメイト達はでまるで「チャーリーズ・エンジェル」だが、男性ばかりの会社から独立した有能な女性が、女性だけで張り切って起業するさまを彷彿とさせる。

だが「ハリウッド撤退という負けを取り返し、もっと大きな成功を掴みたい」という欲望に取り憑かれていたモリーは、ここでちょっとした禁じ手を使ってしまう。その違法行為と前後して、クラブ周辺にはロシアン・マフィアの影もちらつき始める。

少しでも気を抜けば真っ逆さまに墜落する綱渡りのような裏ビジネス。そこで目立つ女、稼ぐ女には、そのおこぼれに預ろうとする男も寄ってくるが、引き摺り降ろそうとする男も近づいてくる。FBIに睨まれるのは必至だ。
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男の世界で女が一人で勝負する限界

一晩中ゲームを開催し、明け方にお抱えの運転手の車で自宅に戻るモリーは、いつしかドラッグ中毒に。むしろ薬に頼らねばならないようなハードモードに、自分を追い込んでいったのかもしれない。

どうしてそこまで? もう十分稼いだろうに……と見ている私たちは思うが、モリーにとってはビジネスはどこまでも「試合」なのだ。「父の娘」は、厳しい父の教えを守り歯を食いしばって闘った末の少女時代の大きな挫折を、今度は、父が所属する男の世界の中で取り返そうとしたのかもしれない。


『モリーズ・ゲーム』撮影シーン。父親役のケビン・コスナーとモリー役のジェシカ・チャスティン(Getty Images)

だが、男の世界で女が一人で勝負することの限界は、最悪の形で彼女に返ってくる。

当局に財産を没収されてから2年後、モリーは摘発された有名人以外の関係者を匿名とした本を書く。すべてを暴露すれば、金融界から政界、財界、スポーツ、芸能、アート界までを巻込む大スキャンダルに発展し、彼らの多くが破滅するからだ。

ハードディスクを提供しろと弁護士に言われても固辞。個人情報を守るという業界の仁義を通したモリーの中には、モーグル選手時代の生真面目さが生き続けている。

お金のない保釈中のモリーが、スケート場で800ドルのシャネルの手袋とレンタルスケート靴を交換する場面は、彼女が一貫して求めてきたのが、経済的成功ではなく自身へのチャレンジだったことを、改めて端的に示している。

「父の娘」である自分を、ようやく客観視できるようになったモリー。人生を賭けたものを失っても、筋を通して生きた人は美しい。

映画連載「シネマの女は最後に微笑む」
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文=大野 左紀子

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