しかし、この研究の興味深い点は他にある。回答の基盤となったものが何かを尋ねられた被験者は、評価対象者の反応が自分の意見を決める要素になったと主に信じていたからだ。しかし、評価対象者の顔の表情は研究者らにより編集され。完全に中立的なものに変えられていたため、これはあり得ないことだ。被験者らは、俳優が表現した感情に基づいて自らの意見を形成していたはずだ。
研究の著者であるアリソン・スキナーは発表の中で「私たちは動画を編集し、ポジティブかネガティブかにかかわらず非言語的な合図を受ける対象者が全員同じ反応をするようにした。そのため異なるのは、対象者が受ける非言語的合図だけだ」と説明し、「それにもかかわらず、被験者の非常に多くが対象者に対する自分の意見を対象者の振る舞いと結びつけていた」と述べた。
スキナーはさらにこう述べている。
「これは、人々が日常生活でさらされている非言語的メッセージをどのように理解しているかに関して重要な意味を持つ。この研究結果からは、誰かがある特定の人物に対し他の人に対するよりも非友好的に振る舞う場面を見ることで、私たちはその原因が振る舞いを受けた本人にあると考えてしまうことが多いことを示唆している。つまり、相手があまり友好的に見えないため相手のことを好きになれないと私たちが信じているとき、実はその原因は、その人物にあまり親しく接していない他の人たちである場合がある」(スキナー)
同研究の主要な発見事項はそれほど意外なことでもない。私たちは自分の周囲の人から、周囲の世界に関する手掛かりを得るものだからだ。周囲の人が正しいというわずかな見込みに賭け、私たちはその意見を信用している。
しかしこの調査では、私たちがその情報は観察者ではなく対象物から来るものだと信じていて、情報源を大きく誤解していることが示されている。現在の米国や世界の状況を考えると、この間違いは特に危険かもしれない。この研究は、私たちが意見を形成するときに一度立ち止まらなければならないことを思い出させてくれる。他者の意見に頼る場合は特にそうだ。