アルタビジョンの前を待ち合わせの場所として使ったことのある人は多いのではないか。
そこを管理していた企業が、同名のスタジオアルタだ。当時の事業内容は大きく3つ。アルタビジョンをはじめとしたビジョンの運営、制作、番組制作、そしてスタジオ運営。
初代アルタビジョン
多くの人がその名を知る同企業だが、「笑っていいとも!」終了後から4期連続の赤字を計上し、17年にはその金額は約7億2千万円にも上った。一時は清算の危機に瀕していたが、翌年の18年には7千万の黒字を計上する。たった1年で8億円以上の営業利益を上積みし、見事V字回復を成し遂げたのだ。
一体、スタジオアルタに何が起きたのか。その立役者こそ、17年10月に大きな負債を引き継ぐ形で着任した代表取締役社長の嶋田正男である。「戦場の後のようなメチャクチャな状態でしたよ」と、嶋田は当時を振り返る。
当時のスタジオアルタには、番組からの定期的な収入源がなくなった途端にアルタビジョンや新規開業した有楽町オルタナティブシアターの家賃と償却負担が重たくのしかかる。「笑っていいとも!」の終了後、親会社である三越伊勢丹グループとの共同出資をしていたフジテレビとの合弁が解消になり資本も減少。嶋田着任以前の前体制の時に、一念発起して合計約15億円を投資し立ち上げた有楽町のオルタナティブシアターも収益計画を大きく下回っていた。
すると、業績の悪さは社内にも伝播する。社内では様々な問題が浮き彫りになり、労働環境の悪化も常態化していたという。「私が社長として入社したとき、オフィスは息が詰まるほど暗い雰囲気でした。閉塞感があって、離職者も増えていました」
そんな状況の中、なぜ嶋田は引き継いだのか。
そもそも嶋田は、親会社である伊勢丹に勤務をしていた人物。バイヤー時代から、苦戦している地域店舗が大きいことに気付き、その店舗に入り込んで立て直しを図る役割を担っていた。その後、取締役として松山三越への出向、伊勢丹浦和店の統括部長を歴任。
ところが、一身上の事情で、役職なしで関連子会社への出向。その出向先で任されたのは、苦戦中の伊勢丹のアウトレットショップの立て直しだった。