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「当時は精神的にきつくて、人生を見つめ直す時間でした、家族や先輩たちに励まされる中、ここじゃ終われないという気持ちになりました」

かつて地方店舗の立て直しを経験していた嶋田は、その時の経験を糧に現場に入り込み地道な努力を重ねる。結果、半年間で150%成長を記録した。奮闘を続けている最中、期中(9月末)に本社人事より異動を告げられる。

「本社への復帰通知かと思ったら、スタジオアルタへ(代表取締役社長)としての出向を伝えられました。スタジオアルタが関連会社だったこともよく知らなかったし、出向の理由さえも教えてもらえなかった。『自分の目で見て確かめろ』と。業界の知見も人脈も皆無で、社長の経験も初めての中、よく分からないままスタジオアルタに出向しました」

嶋田は着任当初、上述のような会社の状況を見て「会社を精算する役割を期待されているんだろう」と思った。しかしその選択はしなかった。当時社員は40数名、主力事業も不安定、赤字は7億超がほぼ確定していて、加えて社内の雰囲気も最悪。その状況下で「スタジオアルタ再建」の道を選んだのだった。

「これまでずっと立て直しばかりやってきた経験があったので、ここでもやってやろうと思いました。前例がないことをやるのが僕の仕事。前向きな気持ちだけが支えでしたね」



まず嶋田が着手したのは、赤字を垂れ流している穴を塞ぐことだった。立ち上げたばかりのオルタナティブシアターでの自主公演の中止、赤字だったコンテンツ制作事業の撤退、機能していなかったコンサルタント企業との契約解消、人件費の削減、そして、関連会社の強みを活かした減損措置など。できることはすべて行い、約半年間で5億円の挽回の計算が立った。「債務超過は覚悟の上だった」と嶋田。

しかし、存続に向けた黒字転換の為にはあと2億円の利益が足りない。このとき嶋田が考えたのが「内部構造改革」だった。

「事業の軸のひとつに、アルタビジョンなどのメディア事業がありました。当時は代理店が持ってきたものをそのまま流すだけの受身の体制で、自分たちからアクションをすることはなかったんです。私もこのときはまだ自分たちの強みに気づいていなかった。けれど、徐々にできることがまだまだあることに気づいたんです」

その気付きを与えたきっかけが、現三越伊勢丹社長に紹介されて知り合った、プロ人材の知見を複数企業でシェアする「プロシェアリングサービス」を行うサーキュレーション社を通じ、嶋田が直接会って採用したIoT企業の社長だった。彼との対話によって、自社の強み、弱みを洗い出すことを始めたのだった。

「新宿のアルタビジョンと、最大の競合である渋谷スクランブル交差点の4面ビジョンを比較すると、放映の事前告知ができ、アルタ前に人が集められること、そしてSNSと連動して拡散することにより広告主のニーズにこたえられる事などが挙げられました」


新元号発表の瞬間

文=石原龍太郎 写真=ラン

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