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田坂広志の「深き思索、静かな気づき」


例えば、家庭の貧しさの中で自尊心を持てず苦しんでいる人間の気持ちは、やはり、同様の経験、「貧しさという苦労」の経験を積んだ人間にしか分からない。また、家庭の中で親子の不和で苦しむ人間、職場の人間関係で苦しむ人間の気持ちは、その経験を持たない人間には、本当には分からない。

とはいえ、我々は、世の中の人々の苦労のすべてを経験することはできない。しかし、もし我々に、相手の苦労を分かってあげたいという思いと、その優しさに支えられた想像力があれば、何かが変わる。

だが、その想像力もまた、やはり、自身にそれなりの苦労の経験が無ければ身につかない。

そのことを理解するとき、昔から語られる一つの言葉が、新たな意味を持って心に浮かんでくる。

「若い時の苦労は、買ってでも、せよ」

筆者自身、若き日に、この言葉の意味を深く受け止め得たわけではないが、永い歳月を歩み、人生における様々な苦労を与えられ、この言葉の大切さが心に染み入るように分かる時代を迎えた。

なぜなら、我々が歳を重ね、会社や組織でリーダーの立場が与えられたとき、この「若い時の苦労」が、かけがえのない財産になるからである。

職場の片隅で部下が上司について語る言葉、「あの人は、苦労知らずだから、人の気持ちが分からない……」と「あの人は、苦労人だから、分かってくれる……」は、天と地ほどの開きがある。それは、そのまま、メンバーがリーダーに対して、その「共感力」と「人間力」の有無を語る言葉でもある。

しかし、そのことを理解してなお、我々は、「やはり苦労はしたくない」という思いを持っている。

だが、有り難いことに、その思いを超え、人生と仕事において、我々には、必要なとき、必要な苦労が与えられる。そのことは、苦労のさなかには気がつかないが、歳月を経て振り返るとき、気がつく。

なぜなら、人生の苦労は、大いなる何かが、我々を育てようとして与えるもの。その成長を通じ、素晴らしい何かを成し遂げさせようとして与えるもの。

そのことに気がついたとき、目の前の風景が変わる。そして、人生の風景が変わる。

文=田坂広志

VOL.43

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