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田坂広志の「深き思索、静かな気づき」

米国のSF映画に、1966年に制作された『ミクロの決死圏』(Fantastic Voyage)という名作がある。この映画は、脳に障害を負った患者を救うために、医師チーム5人が、最先端科学技術によって血管よりも小さなミクロサイズに縮小され、注射によって患者の体内に送り込まれ、患部の治療に向かうという物語である。

与えられた時間はわずか1時間、体内の白血球によって攻撃されながら、必死に治療に向かうチーム、そして、それを手術室で見守る管制官たち。

この映画に、心に残るシーンがある。それは、管制官の一人が、チームのメンバーの安否を心配しながら、コーヒーを飲むシーンである。そのコーヒーカップの横を、小さな虫が這っていく。その虫を、何気なく指で潰そうとした管制官は、その行為の意味に気がつき、手を引っ込める。それは、その虫の姿が、いま患者の体内で戦っているミクロサイズになった仲間の姿と重なったからである。

映画の本題とは離れたこのシーンが、半世紀の歳月を越えて、いまも、心に残っている。

なぜなら、このシーンが、一つの言葉の意味を象徴的に教えてくれているからである。

それは、「共感」という言葉。

この言葉は、世の多くの人々が好んで使う言葉であるが、その本当の意味は、「相手の姿が、自分の姿のように思えること」に他ならない。

その意味で、この管制官は、目の前の虫の姿が、自分たちの仲間の姿のように思えたのであり、まさに、その虫に「共感」を覚えたのであろう。

では、我々は、どのようにすれば、他者に対する「共感の心」を身につけることができるのか。

実は、この「共感の心」や「共感力」と呼ばれるものは、書物を読んだだけでは、決して身につかない。それが、いかなる宗教書であれ、心理学書であれ、どれほど書物を通じて「共感の大切さ」を学んでも、それは、ただ「頭」で理解しただけであり、決して身についたものとはならない。

では、我々は、他者に対する「共感力」を、いかにすれば身につけられるのか。

その答えは、素朴であるが、しかし、厳しい答えである。

「人生において、自身が、様々な苦労を重ねること」

そのことを抜きにして、我々は、「共感力」を身につけることはできない。

文=田坂広志

VOL.43

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