寒ブリの水揚げで有名な富山県氷見市をモデルとした町で、アメリカ人の女性がさまざまなカルチャーギャップに遭遇しながらも、現地の日本人漁師と恋に落ち、降りかかる困難に立ち向かっていくという恋愛小説で、すでに現地でも話題を集めている。
編集者を探すことから始めた
小説の内容もさることながら、この「the Sea of Japan」が画期的なのは、日本人作家が、母語ではない言語でこの作品を書き下ろしていることだ。Keita Naganoは「長野慶太」、Forbes JAPANのオフィシャル・コラムニストとしても健筆を振るっている。
村上春樹や桐野夏生など、日本語で書かれた小説が英語に翻訳されてアメリカで評判を得るというケースはこのところいくつか見られるが、長野の場合は、最初から英語でこの作品「the Sea of Japan」を執筆している(なので、残念ながらいまのところ英語でしかこの小説は読むことができない)。
しかも、長野は、アメリカで生まれ育ったわけでも、いわゆる帰国子女でもない。現地に移り住んだのは32歳のときで、つまり母語ではない英語で、この小説執筆に挑戦し、アメリカでの出版にまで漕ぎ着けたのだ。空前絶後の偉業と言っていいかもしれない。
一昨年、ノーベル文学賞に輝いた「日本人作家」カズオ・イシグロは、6歳のときに両親とともに長崎県からイギリスに渡り、彼の地で育ち、教育を受けた。イシグロ自身は、家庭では日本語を話していたようだが、英語は母語同然で、小説もすべて英語で発表している。一方、長野にとっての母語はあくまで日本語で、英語で小説を書く前は、日本語で執筆した小説も発表している。
長野慶太は、1965年東京都の生まれ。慶應義塾大学経済学部を卒業後、三井銀行勤務を経てアメリカに渡り、現地の法律事務所で働いたのち、ラスベガスで対米進出コンサルティングを起業。小説家としては、2011年に「女子行員・滝野」で三田文学新人賞を受賞。翌年には「KAMIKAKUSHI 神隠し」で第4回日経小説大賞にも輝いている。
それまで日本語で小説を書いてきた長野が、どうしてゼロから英語で執筆しようと考えるに至ったか。長野は次のように語る。
「学生の頃から、ずっと小説を書き続けてきましたが、アメリカで小説を出版するのが夢でした。アメリカ人の読者に向けて小説を書こうとすれば、自ずと初めから英語で書かなければ、きちんと届かないと考えていました。登場人物たちが、相克や友情、裏切りや信頼、片思いや恋愛をくぐり抜けていくドラマは、英語で書かなければ、アメリカ人の心には響かないと思いました」