現代中国の変化を通じ、49歳の映画監督が描き続ける「人間の本質」


本作に登場する地方都市・大同(ダートン)の男ビン(リャオ・ファン)と女チャオチャオ(チャオ・タオ)はいわゆる裏社会、中国で「江湖」と称される世界に生きている。忠義心と正義を重んじる「江湖」の人々は、疑似家族のような集団を形成して互いを支え合うことが常であり、ビンとチャオチャオも同様だ。

だが、ビンを暴漢から守ったチャオチャオは刑務所暮らしを余儀なくされる。やがて5年後の2006年、出所した彼女はビンが移り住んだ山峡ダムの町・奉節(フォンジェ)を尋ねた。

「ふたりは古い価値観を持っていますが、社会の変化に伴って新しい生活に入ります。そこでビンは変化の中を泳いで行く一方、チャオチャオは変化から距離を置いて、これまでの価値観を持ち続けようとします。こういった心の動きという『見えないもの』を撮ろうと考えたため、本作は『ラブストーリー』になりました」

新たな妻子を得るなど生活が激変していたビンは、彼女を静かに拒絶する。チャオチャオは短い放浪を経て大同に帰郷すると、以前と同じ「江湖」の世界で麻雀店を開いた。そこに11年後、ビンが誰にも予期できなかった姿で戻ってくる。

「ある変化と向かい合った際に、各自がどういった人生の選択をするのかを描いています。ビンの場合は、変化が起きた社会の中で以前のように競争し、成功をおさめたいと考えました。一方でチャオチャオはそこから距離を置く。中国ではすべての人々がこういった、いわば『変革の狂乱』の中で、それぞれなりの選択を迫られているのです。

昔を知らない若者は別です。ですが、以前の中国社会を知っている中年は、変化を敏感に感じ取っています。そういった社会で、本作で描かれているような男女は無意識に選択をしていのです。選ばなければならないと。洪水のように情報があふれる中で、時代に飲まれていく男女です。だからこそ、描くには17年という長い時間軸が必要でした。おそらく渦中にいるときは意識できませんが、ある程度距離を持って人物を見ることにより、当時はどこの位置にいたのかがわかるようになります」


ビン(リャオ・ファン 左)とチャオチャオ(チャオ・タオ) (C)2018 Xstream Pictures (Beijing) - MK Productions - ARTE France All rights reserved

チャオチャオは再びビンと暮らすが、その胸に去来する感情は以前と同じではない。そしてまた、ビンも自身に新たな選択を迫る。時代の変化に揉まれながら選択を繰り返すふたりの姿を通じて、いつしか鑑賞者は自身にも問いかけるだろう。変化に直面しても守り続けるべきものとは、いったい何か。

「今後もおそらく、科学技術の進化は社会をさらに変えると思います。そうすればまた必ず、古い時代と新しい時代の矛盾が生じる。政治や思想にも影響していくのではないでしょうか。人間にしても、変化する可能性が大きくある。このため私は『人間の本質』というものを持ち続けなければいけないと強く思うのです。それは人間が持つ基本的な原則であり、人と人を結びつけている感情です。たとえば慈愛と公平、平等、そして憐憫」

いかなる激変が訪れても、人が人であるためには持ち続けるべきものがある。監督はまた「年を重ねると、人はあらゆるプレッシャーを受けるようになる」とも語った。これはおそらく、中国映画の世界で「巨匠」と呼ばれるようになった監督自身のことでもあり、さらには鑑賞者である我々にもいえることだろう。

本作は中国社会の変化と人々を描いているが、変化との対峙とそれに伴う選択とは、現代社会に生きる我々すべてがいままさに直面している現実だ。本作を観た後は少しだけ、これまで無意識に守っていたものと、これから守るべきものを考えてみたくなるだろう。

文=オカダカヅエ

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