「私たちの時代と同じく悩みは多いはずなのに、今の20代はすごく穏やかでクール。そして大人で、私たちとは全然違う。それは時代が変わったから、世界が変わったから。私たち上の世代も考え方を変えなきゃね」 頂点を目指して10代で世界に飛び出し、日本人ファッションモデルのアイコンとなった冨永愛。OVER 30世代となった彼女は、トップモデルとして、また、10代の息子を持つ母として、UNDER 30世代を見つめ、彼らと同じ時代、同じ世界をどう生きるかを考えている。
次代を担う若者にフォーカスする30 UNDER 30 JAPANと、未開拓の領域を切り開いて自ら指針となる者を〈Mark Maker〉として選定するモンブランが、世界を変えようとするU30世代と実際に変えてきたOVER 30世代とをつなぐ本企画。誰の後を追うこともなく10代から世界のランウェイを歩き続けてきた冨永愛は、現在の若い世代のためになるならと、自らの体験を惜しげもなく明かしてくれる。
「20代で壁にブチ当たる体験をして、本当によかった。そのときは周りから『いい体験だよ』と言われてもピンとこない、でも、後になるといい体験だったことがわかります。壁を乗り越えるにせよ、乗り越えられなくて壁に沿って歩くにせよね。壁を乗り越えることが重要なのじゃなくて、まず壁にブチ当たることが大事なんです」
「10代で海外に出たときから、チャンスに2度目はないとわかっていました。メイク、カメラ、衣装……すべてがその1回かぎり。だから『このチャンスを掴まなきゃ!』という思いが強かった。やらなければ“次”はない。やらないで後悔するより、やって後悔する方を選びたいと、今でも考えています」
17歳のとき「VOGUE」に載った高校の制服姿を契機として海外でのモデル活動に道が開け、20歳前にはニューヨークコレクションでランウェイモデルとしてデビュー。以来、パリやミラノ、東京などでキャリアを重ねる一方、そのキャラクターを活かしてテレビやラジオにも数多く出演し、さらには出産や育児休業を経験したワーキングマザーでもある。
華麗に見える冨永の来歴だが、UNDER 30時代には苦労も多かった。ランウェイデビューを目指し、キャスティング(オーディション)とショーへの参加で各国を単身で回っていた10代。グローバルに顔と名前が売れた時期と“母親業”のスタートした時期が重なった20代。OVER 30世代となった彼女は、「私にも乗り越えられなかった壁がいくつもありました」と、率直に語る。
だからこそ……なのか、現役のU30世代に対する視線も、的確で優しい。
「私たちのときと同じように悩みは多いはずなのに、今の20代はすごく穏やかでクールで、大人で、私たちとは全然違うなぁと感じます。ただ、穏やかなのは、どこか諦めているところがあるからで、クールなのはもしかするとハングリーになれないからというのもあるかもしれません。
私は中学・高校のころにやっとPHSを使うようになった世代、何かを知ろうと思ったときには自分の足で動いて経験して、というのが当たり前でした。今はスマートフォンで調べればパッと答えが出るけれど、でもその答えは、自分でやってみて得たものじゃない。自分でやって駄目だったりうまくいったり、そういう実体験があると自信が持てるから、納得も成長もできるし、妥協だってできるようになるんだけれど……」
冨永の俯瞰した見方は、若い世代の良い点を見逃さない。同時に、後押しをし、さらには大人たちの役目をあらためて強調する。
「でも、若い世代が私たちのころと違うのは、彼らのせいでは全然なくて、それは時代が変わったからだし、世界が変わったから。本当にものすごく変わりましたよね。だからこそ私たち上の世代も考え方を変えなきゃいけないと、思っています。若いうちは流れに沿って変われる柔軟性があったけれど、30代以上になるとそれがだんだん難しくなってくる。大人も時代を知って、変わる努力をしないと」
「自分の道を行けばいい」|モンブランの定番万年筆〈マイスターシュテック〉で書いていただいたUNDER30へのメッセージ。壁に当たることをいとわず、それでも自分なりに道を見つけ、上の世代の力を借り何かを成す。一見、放り出される印象の言葉の裏に、支える大人たちの顔が見える優しい言葉だ。自然体を印象付ける“深淵の緑”のインクがそれを強調する。冨永にとって30歳は大きな「境目」だった。10代から社会に出ていた彼女にとっては、「20歳より30歳の方がもっと“成人感”が増す感じ」だったという。
「私は30歳になったとき、ちょうど日本にいたんですが、ここから本当に大人なんだなという“大人じゃなきゃいけない感”とういか、“ここから本腰入れないと感”が凄かったですね、30歳って」
振り返ってみれば、社会活動を担う新たな役割が冨永の中に生まれたのも、30歳前後のことだった。女性、特に妊産婦の生命と健康を守ることを目指す国際NPO・公益財団法人ジョイセフ(JOICFP)のアンバサダーに就任したのは2011年。その後、WFP(国連食料計画)のオフィシャルサポーターや国連のSDGs(持続可能開発目標)の達成を目指す消費者庁のエシカルライフスタイルSDGsアンバサダーも務めている。
「息子と暮らしていたり、仕事で若い世代に接していたりいても、時代が変わっているということは肌で感じられるんですが、社会活動に参加してみると、変化がもっと大きなものであることがわかります。何も知らない10代のとき、海外に行った方がいいと背中を押してくれたのは30代の大人たちでした。最近の若い人たちは海外に行かないとよく言われていて、日本にも独自のものがたくさんあるんだから無理に外に出る必要もないとは思いますが、やりたいことを見つけて、それをやろうとする若い人を後押しする世代に自分がなってみて、世界が変わっていることをもっと知らないといけないなぁと、本当に強く思っています」
若い世代のためにできることを考えていくと自分たちの世代がやるべきことに思い至ってしまう──。ファッションモデルにしてメディアパーソナリティー、チャリティーの人にして母でもある冨永愛はまた、真っ当すぎるほど真っ当な大人でもある。
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