13歳からの夢 「100万分の1」を勝ち取った八村塁 #30UNDER30

ワシントン・ウィザーズ所属 八村 塁

「皆さんやりました。NBAです」

2019年6月21日、日本人として初めてNBAのドラフトで1巡目指名を受けた八村塁は、居並ぶテレビカメラの前で笑顔でそう語った。

「世界を変える30歳未満」として、日本を代表するビジョンや才能の持ち主を30人選出する名物企画「30 UNDER 30 JAPAN 2019」のスポーツ部門で選出された、八村塁。



ベナン人の父と日本人の母を持つ八村は、高校時代から関係者の間で「最もNBAに近い日本人選手」と呼ばれていた逸材だ。

富山県で生まれ、小学生まで野球少年だったという八村が、バスケットボールに出会ったのは、意外に遅く中学生のとき。友人からの誘いで「仕方なく始めた」という。しかし、中学時代の恩師である坂本譲治氏の指導もあり、宮城県の私立明成高校へ入学後はメキメキと頭角を現す。

在学中は高校生でありながら日本代表入りを果たし、卒業後はNBAを目指しアメリカへ渡る。ワシントン州のスポーケンにある全米でも強豪のゴンザガ大学へ入学したのちも活躍を続け、今回、ドラフト指名1巡目、全体で9位指名を勝ち取ったのだ。

実は、八村はそれまでまったく英語を話すことができなかったため、渡米してすぐに言語の壁に直面した。チーム内でのコミュニケーションも難しかったため、入学後はバスケットボールの練習のほかに、英語を学ぶための授業や宿題、家庭教師との勉強などで多忙を極め、「挫折するのではないか」とも思ったという。

それでも、バスケットボール選手として成長するために、語学の習得を止めることはなかった。たゆまぬ努力と活躍から、地元にNBAチームが無く、大学バスケットボール熱の高いゴンザガの学生たちからも愛される存在になり、いつしか英語でのインタビューもそつなくこなせるようになったという。

100万分の1の栄光

ところで、NBAで1巡目指名を受けることがどれだけ凄いことなのか、日常的にバスケットボールへ興味を持っている人以外は、いまひとつピンとは来ないだろう。

まず、現在、国際バスケットボール連盟に登録されている競技者数は全世界で約4億5000万人。世界最高峰のバスケットボールリーグであるNBAには合計30チームが属し、各チームで登録できる選手数は15名まで。つまり、現役のNBAプレイヤーは450名しか存在せず、全競技人口の0.000001%しかNBAの舞台に立つことができないのだ。

さらに、NBAのドラフトは、原則前季の下位チームから指名が始まり、1名ずつ2巡にわたって指名を行うため、最終的に合計60名しか指名を勝ち取ることができない。
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文=石原龍太郎

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