「福祉をカルチャー化する」異彩を見出し、ファンを生む双子の実験 #30UNDER30

右から松田崇弥、文登


2人が出場する卓球部の大会でのことだ。兄はよく母と一緒に応援に訪れていた。信頼できる人だけに「言葉遊び」を仕掛ける癖がある兄は、試合中も観覧席から大きな声で話し掛け続けた。

周囲からの目を気にして2人は、兄に向かって「うるさい」「こっち来るなよ」と、強い言葉を浴びせた。家では優しい2人が、外では態度を変え、冷たくなったことに兄はパニックを起こし、次第に彼らを拒絶するように。

同じ家に暮らしながら、顔を合わせず、言葉を交わさない日々が続いた。

「当時は周囲に影響されてしまい、自分たちの弱さから兄を傷つけた。今もすごく申し訳なく思っています。僕らの活動の原点は、兄にある。兄がいなかったら、自分たちが差別、偏見をする側になっていたかもしれない」と文登は話す。


兄・翔太とともに年賀状のための撮影をする当時7歳の崇弥と文登(右から順)=本人提供

衝撃を受けた社会人2年目の夏

高校では双子で寮生活、大学では別々の道を選んだ。時間が経つに連れ、兄との関係性を修復した2人は「福祉に関わりたい」という想いを再び抱くようになった。

社会人2年目の夏、アート好きな崇弥が母に誘われ、岩手県花巻市の「るんびにい美術館」を訪れた時のことだ。知的障害のあるアーティストの作品に触れ「こんな面白い世界があるのか」と衝撃を受けた。

「当時、障害のある方達が描くアートは、福祉業界内での認知度は高くとも、社会全体にはほとんど認知されていませんでした。彼らの作品を多くの人に知ってもらうために、自分たちで何かできないだろうかと考えました」

崇弥は、そのことをすぐに文登に電話で知らせた。思えば「下手くそだな」と思っていた兄の落書きも、視点を変えると魅力的だった。

文登は、ある思いを語った。「『障害のある方が作った』と聞くと『彼らを応援、支援しないといけない』というバイアスが掛かってしまっているように思うんです。そのイメージを彼らのアート作品によって変えることができるかもしれない。そのためにどのような方法で発信していくのか。プロデュースする側の裁量がとても重要だと感じました」

彼ら自身が障害のあるアーティストの作品を目の当たりにし、その作品から伝わる「可能性」に触れたことで事業が動き始める。崇弥が初めてるんびにい美術館に訪れた1年後、仲間を集めて知的障害のあるアーティストの作品を傘やネクタイなどへ商品化するブランド「MUKU」を立ち上げ、活動を始めた。

アート作品そのものを鑑賞するだけでなく、プロダクト化することでより身近に感じてもらえるようにする。彼らはアーティストへの敬意を込めて、素材や品質にこだわった商品づくりを行っている。

文登はその狙いをこう語る。

「商品名にはアーティストの名前をそのまま使用させていただいています。MUKUというブランド以上に、アーティスト個人を知ってもらうことで『障害』という枠組みでなく、純粋に作品に関心を持ってもらいたいと考えています」
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文=宮本拓海 写真=ヤン・ブース

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