性別についても、グラデーションのようなもの。言いたくなければ、はっきり言う必要もないと考えている。「イメージを一つの言葉で固めるのはもったいない。ラベリングして決めつける社会は変わってほしい」
Benetton Rainbow Machine -Tokyo Edition- (photo by AKIKO ISOBE)
若者らしい独特の感性が評価され、2019年夏には「ユナイテッド カラーズ オブ ベネトン」の東京発デジタルスタイルブックの企画のアートディレクターに抜擢された。コラージュアーティストやカメラマンなどのクリエイティブのチームが編成され、若者向けにブランドイメージを変える広告制作となった。レインボーでカラフルな色合いで、若者たちが横並びで思い思いのポーズをとる姿に見とれてしまう。しかも、こういったアートディレクションの仕事はこれまでやったことがないというから驚く。
「本当に偶然が多いですね。やったことない分野の仕事で声を掛けられて、気になったら『はい、やります』と言います。現場で学ぶことってたくさんあるし、緊張はしません。逆に、自分でも、経歴がない僕を起用するのってすごいなって思います」
「ジェットコースターのような人生」
清水自身、ギャルの文化には影響を受けたというが、いつから奇抜なスタイルになったのだろうか。「16、17歳ごろに自分の好きな服を勝手に組み合わせて着始めたんです。すると、『なんでこの格好なの?』と周りに人が集まり始めて。究極の迷走なんですけど」と笑った。今でも古着屋を訪れたり、オンラインショッピングで海外の服を買ったりすることもある。
現在21歳の清水の人生は「ジェットコースターのようだった」と振り返る通り、波乱万丈だった。中学時代はいつも居場所がなく、外でやり過ごしていた。「生きている感じがせず、15歳で死ぬとさえ思っていました」
高校時代は生活困窮から週5日アルバイトをしながら、往復5時間も歩いて通学した。高校生活も馴染めなかったが、年上の友人を通じてアシスタントの仕事の誘いがあったおかげで、家と学校の往復だけではなく、社会の複数のコミュニティでのつながりが広がった。「たくさんの居場所ができ、運がよかったんです。偶然が重なり、その運を掴めてよかった」