高校2年生になると、さらなる飛躍の機会を求めて、多くの若手演奏家を育ててきたパヴェル・ヴェルニコフ氏に師事するためにウィーンへ渡る。その直後、シニアのコンクールへ初めて出場。それが“世界最難関”と言われるハノーファー国際ヴァイオリンコンクールだった。
「開催場所はクラシック音楽の本場ドイツ、さらに本戦まで進めたらハノーファーのオーケストラと一緒に弾ける。初参加ということもあり『楽しめたらいいかな』くらいの気持ちで出場したんです」
しかし、彼の出場はコンクールの歴史を塗り替えることになる。世界のトップレベルのヴァイオリニストたちを押しのけ、三浦が史上最年少で優勝を果たしたのだ。同時に聴衆賞と批評家賞も受賞。創刊120年を超えるイギリスのクラシック専門誌・The Stradは、こう賞賛した。
「驚くべきその演奏は、ハノーファー国際コンクールのすべてを吸い取った」
自分の血に曲が流れるまで、作曲家の世界観に浸りたい
16歳という若さで一流音楽家への仲間入りを果たした三浦は、ウィーンの高校へ通いながら、プロとしてコンサートに出演するようになった。彼が若いながらも活躍できた理由の一つが、作曲家が提供する曲への向き合い方に隠されている。
「作曲家の世界観にどっぷり浸かるのが好きなんです。時間をかければかけるほど音が体に入るので、30分の協奏曲を演奏するなら半年前から練習を始めます。自分の血に曲が流れるようになるまで準備がしたい」
舞台で最高の表現をするために、曲における最適なボーイング(弓をどう動かすか)、フィンガリング(指づかい)を考え、試し尽くす。また、三浦は無闇やたらに演奏を繰り返すだけの練習に時間を費やすことはない。
「ヴァイオリンは長時間弾かない方がいいんです。人間にとって不自然な格好で弾くわけですから。頭は少し左を向いて、体を捻り、右腕は高く上げ続ける……なので、体を壊す人も少なくありません。正しい弾き方、自然体で弾くからこそ長く演奏できるんです」
難易度の高いパッセージ(主要なメロディ・ラインを結びつける経過的なフレーズ)を練習するとき、早さを重視して粗く100回繰り返すより、ゆっくり正しく10回演奏することで、三浦は“自らの血に曲を流す”。このやり方は、尊敬するかつての師、ピンカーズ・ズッカーマンから教えてもらった方法と重なり、確信に変わったという。
さらに、ズッカーマンの次の世代に技術を伝える姿勢も、まさにクラシック界の伝統を表している、と三浦は感じている。
「国際音楽祭で共演したときのリハーサルでは、彼にさまざまなことを教えてらもらいました。ズッカーマンが僕に伝えてくれるインフォメーションは、これまで彼が出会った巨匠から受け継いだものだと言います。巨匠たちから彼へ、そして彼から僕へ、『このようにして伝統は繋いでいくべきものなんだよ』と。僕もその生き様を実践し、次の世代へ伝えたいと思いました」