こうした話は、“生徒のために身を犠牲にする英雄的教師”というイメージを作ってしまう。しかし、病気を抱えた人がクラウドファンディングサイトで医療費集めに成功する話と同様、こうした話はそもそもなぜそれが必要だったのかについての問いを投げ掛けるものであるべきだ。
外科医は、手術用のメスの購入資金をクラウドファンディングで集めたり、病院のリネン類を自腹で購入したりはしない。また弁護士は、裁判所に自分でテーブルや椅子を運ぶことを要求されない。それなのに、なぜ教師は生徒が必要な環境と教材をそろえるため自腹を切らなければならないのだろう?
こうした慈善行為や個人的出費は、長期的に見て悪影響をもたらす恐れもある。今年寄付を集められたことにより、来年は「素晴らしい! それならこれは二度と予算に入れなくてもよい」と思われてしまうかもしれないのだ。学校の資金不足を補うために教師が事実上の減給を自主的に受け入れていれば、リーダーがこうした資金問題を解決する動機は減る。
大半の教師が教材に多くの自腹を切っていることは良いニュースではないし、ニュースでさえもない。私たちはこのような状況が存在しない新学期に向けて協力して取り組まなければならない。