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「小学校6年生で不登校になりました。体調が悪くて、学校に行ったり友達と話したりする元気が湧いてこなかったんです。体は動かないし、眠れないから頭も働かない。テレビを見ながら絵を描いて、ひたすら犬と過ごしていました」

当時は将来のことなど考える余裕もなく、夢も希望もなかった。保護者である父は多忙で、養育やコミュニケーションもままならず、家庭内でありながら常に孤独と緊張を強いられ、居場所がないと感じていた。引きこもりが長くなると、線すらまっすぐ引けなくなって絵も次第に描けなくなった。

そんな生活から抜け出そうと、離れて暮らしていた母の導きで13歳のときにオーストラリアに単身留学を決めたことが転機となる。そこは小学5年生のときに一度旅行で数日訪れた場所だった。

「不思議なことにあんなにひどかった喘息が、オーストラリアでは起きなかったんです。久しぶりに深呼吸できて頭がすっきりした。最初は英語はまったく話せなかったけど、日本の学校の時よりも生き生きと過ごせました。ご飯も美味しく感じられて、やっと『生きている』と実感しました」

オーストラリアで過ごしたのは13歳から15歳まで。居場所もあるし、健康にもなったことで、将来を考えられるようになった。友達もできて、もう日本に帰らなくていいとも思ったが、だんだんと「逃げてきた日本でもう一度やり直したい」という気持ちが強くなった。

家族として受け入れてもらうために医師を目指す



そして、高校入学を機に帰国。母と暮らしたいという願いは叶ったが、「今度はわがままを聞いてくれた母に親孝行をしなければ」と思い、母の希望を聞いて父と同じ医師への道を歩もうと決意する。「東大理Ⅲに入って父と同じ医師になる」。それが高校時代の磯村の大きな目標になった。

「ずっと絵は描き続けていたし、美術がやりたくて美術系高校の説明会にも行きましたが、母に強く反対されました。母には感謝もあったし、僕が家族として受け入れてもらうには立派な理由が必要だと思い込んでいた。期待に応えたい、東大理Ⅲに入れなければ自分は幸せになれないと思い込んでいました」

その後、都立の進学校に進んだ磯村は、学外の友達と原宿や渋谷へ遊びに行くようになる。一緒に遊んでいた学外の友達は、東大を目指してなどいなかったが、生き生きとやりたいことに没頭していた。その姿を見て「洗脳が解けた」。

文=松崎美和子 写真=伊藤 圭

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