大手社員でNGO理事。難民の「保険証」発行を目指す、彼女のアイデンティティー #30UNDER30

安田クリスチーナ

バングラデシュ、日本、アメリカを渡り歩き、最先端のテクノロジーを用いて世界規模の課題解決を目指す安田クリスチーナ。

安田は、大手IT企業に属しながらも、アメリカNGO「InternetBar.org」の理事として、バングラデシュを舞台に難民のために電子証明書の発行を目指す「デジタル・アイデンティティ」事業を展開する。経歴を見ると、現代らしいグローバルエリートで華やかだが、彼女を表す本質はそこではないだろう。

日本を代表するビジョンや才能の持ち主30歳未満の30人を選出する名物企画「30 UNDER 30 JAPAN 2019」のポリティクス部門を受賞した安田の描く未来像とは──。




ロシア生まれ、北海道育ち

安田の人生は生まれた時からグローバルだった。ロシア・サンクトペテルブルク出身。ロシアを舞台にビジネスを展開していた日本人の父親と旧ソ連生まれの母親との間に1995年に生まれ、4歳半で日本にやってきた。ソ連崩壊で混乱が続く中、父親が母国である日本への帰国を決めた。彼女のグローバルな感覚を養うことになったその決定を彼女は「感謝している」という。

最初は東京にいた一家は、まもなくして札幌へと引っ越す。父親にとって札幌はロシア、旧ソ連圏との貿易ビジネスがよりやりやすいエリアだった。家庭内での家族同士の会話はロシア語が中心。学校では日本語を使い、幼少期から英語も習っていたため、3言語の読み書きが同程度にできた。

「日本にいた幼少期にアイデンティティで悩んだことはなかったです。自己認識は完全に日本人ですね。中1までに英語はほとんどネイティブ並みに話すことができてこれがすごい強みになった。同級生たちはむしろ、ハーフかっこいいじゃんみたいな目で見てくれた」

話す言語によって、出てくるキャラクターが違うと笑う。ロシア語の時はよりアグレッシブに、英語は結論からはっきりと話し、日本語ではすべてを言い切ることはせずに行間を大事する。話す相手に合わせて、巧みに行動様式も変化させるのだ。

小学2年生ごろからは授業後に在日ロシア学校にも通い、家庭内にとどまらずWスクールという形でロシア語を習得した。中学時代には、英語や生物などもロシア語で授業を受けた。

語学の幅を広げたことが、彼女を国内だけでなく、より外の世界へと目を向けさせる契機になった。高校時代から大学の進学先の選択肢も必然的に、海外まで広げていた。最終的に選んだのは、パリ政治学院だった。高校時代に理系で、環境問題に関心があった安田は国内の進学も考えていた。だが、理系の研究者に話を聞いて回った結果、グローバルな課題解決には技術以上に政治の力が重要であると思い知ることになる。

「どの研究にお金を配分するか、結局は政治が決めていくこと。だったら、自分が研究者になるんじゃなくて、仕組みを作る側に回ればいいと思ったんです。せっかくグローバルな政治課題を勉強するなら、海外の大学がいいかなと思って探しました」
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文=石戸諭 写真=伊藤圭

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30 UNDER 30 2019

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