解決の一手は「バナナペーパー」にあり。自分探しの旅で目にしたゴミ山の衝撃 #30UNDER30

Kumae代表 山勢拓弥


大学に入学してから「自分は何ができるのだろうか」と考えていたときに、カンボジアの現状を知る。川原の紹介で出会った、カンボジアに衣服や文房具を届ける活動をしている女性から誘われ、山勢も現地へ迷わず出向いた。そして大学1年生の夏休みには、ひとりで再び訪れる。

シェムリアップ州のコムルー村で学校建設のボランティア活動をしながら、近所の子供たちと遊んだり、日本人ボランティアスタッフと交流したり。カンボジアの美しい自然と「自由な空気と青春を感じた」という日々は、日本での閉塞感を忘れさせた。そして、ある出来事に強い衝撃を受けることになる。

現地の人々から「ゴミの集まる場所がある」という話を聞いた。雨が降りしきる中、村から少し離れた所へ向かった。緑の田んぼ、生い茂る木々、そんな自然溢れる土地のすぐ隣に、あたり一面に広がるゴミの山を目の当たりにした。雨に濡れた生ゴミの異臭も酷い。「まるで異世界のようだった」と山勢は振り返る。


山勢が5年前、アンルンピー村で目にしたゴミ山

そもそもなぜゴミ山ができたのか。

ゴミ山のあるシェムリアップは、世界遺産アンコール・ワットで賑わう観光地だ。2000年頃から廃棄されるゴミの量は増加する観光客に比例するように増えた。各家庭ではゴミを焼却処理していたのだが、観光地に悪影響がでるため市の条例で焼却が禁止に。その結果、ゴミを業者が集めるようになり、捨てる場所が必要に。ゴミ収集会社は市内から20kmほど離れたアンルンピー村の土地を買い取り、「ゴミ捨て場」としたのだ。

近隣に住む村人はゴミの異臭に苦しみ、田んぼの水は汚染され、乾季に燃やされるゴミから有害なダイオキシンが発生する。

政府が問題を放任しているのだが、他にも、ゴミ山問題が解決しない複雑な背景があった。「ゴミ山が無くなることに反対する村人もいるんです」と山勢は淡々と説明する。

「現地の村人は農家や大工として生計を立てています。でも農業は気候に左右されるし、大工も雨季は仕事が少なくなる。けれどもゴミ山のリサイクル業は年中安定してお金を得られるんです。つまりゴミ山が消えない理由の根っこには、村での仕事が極端に少ない状況がありました」


5年たったいまも、ゴミ捨て場には人が集まる(山勢撮影)

いつまでもカンボジアで暮らし、自由で楽しいこの国のゴミ山問題を解決したい。山勢は1年生のときに大学を中退する。親や周囲から強く反対されたが、想いは変わらなかった。

「問題に取り組むなら中途半端に関わりたくなかったんです。カンボジアに国際協力サークルの大学生が夏休み期間だけ来ることがありましたが、僕自身は問題に全力で取り組み、自分にしかできないことをやりたかったんです」
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文=田中一成 写真=小田駿一

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