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「契約書の役職も、その時点ではモデラーだったんです。ただ、コンセプトアーティストとしての最初の仕事が『こういう映画に出てくる大怪物を好きにつくってくれ』というものだった。何その楽しい仕事! やっていいの? という感じでした」

ハリウッド映画に携われる環境で、大好きなクリーチャーをデザインできる。18歳で「2年後にハリウッド映画に携わる」と掲げてから3年。期待を上回る形で、理想が現実化した瞬間だった。

“This is it(これだ)”

しかしそれと同時に、夢の実現は新しい試練の始まりでもあった。

課題の英語は、猛勉強で読み書きこそ上達していたものの、クライアントから指示を受けていて、どういうキャラクターなのかと疑問が湧いても、すぐに言葉が出てこない。仕事のアウトプットは発注とずれたものになった。言語の壁だけでなく己の未熟さに直面させられた。

「相手の求めているものより、自分の描きたいものしか描けていなかったのかもしれません。コンセプトアーティストだと胸を張って言える状況ではなく、精神的にきつい時期でした」

任される仕事はちょっとした修正作業など、優先度の低いものばかりになった。救いだったのは、同僚たちが最年少の田島を可愛がってくれたことだ。結果を出せずとも、「コウジの絵は最高だから大丈夫だ」と肯定し続けてくれた。田島は仕事後も睡眠時間を削って絵を描いては、期待を寄せてくれる上司や先輩に見てもらい、助言を求めた。

シンガポールで3年が経ったころ、そんなトンネルを抜けるチャンスが巡ってきた。2015年、ティム・バートン監督の「ミス・ペレグリンと奇妙な子どもたち」で、「少しの間ヘルプでキャラクターデザインをやってくれないか」と声がかかったのだ。

リクエストは2日後までに2〜3点のラフスケッチ。田島はこれが自分にとって最後の機会だと思い、描き込んだ絵を15点も完成させて渡した。あまりの完成度の高さから周囲には「これがスケッチかい?」と笑われた。

「頭の中にあるもの、これまで学んだすべてを出そうという気持ちでやりました」と田島は回想する。数日後、「監督がすごく気に入ってくれた」という言葉とともに、引き続きデザインに従事してほしいとの連絡があった。監督からも直接、“This is it(これだ)”というメールが届いた。

「それを見た瞬間、やった! と。ようやくはまった感じがありました」

そこからは「仕事が楽しくてしょうがない」日々となり、ロンドン本社からも連絡が来るようになった。翌年シンガポール支社が閉鎖になったが、バンクーバー支社に移れた少数のアーティストの中に田島は残った。実はそのころにもILMから再び誘われていたが、タイミングが合わずやむなく断っている。「三度目の正直」となった昨年のヘッドハンティングは、いわば当然の帰結だった。

30代で「スター・ウォーズに関わる」という目標を立てている田島。だが、野望もある。その一つが、オリジナル映像作品の製作だ。田島が絵を描くときは、頭の中に流れる映像を1カットに集約しているが、それを映像のまま出してみたいというのだ。最近では初めて絵本も手掛けたが、それも野望につながる挑戦だったのだという。

「会社の仕事は基本的に与えられたお題でつくりますが、今後は自分でお題を設定してつくることを強化したいんです」

いまも仕事以外の時間も大体絵を描いているので、と田島は語った。18歳で誓った「世界一」の夢はあえて曖昧なままにしてある。そのほうが終わりなく、猪突猛進を続けられるからだ。

<受賞者たちへの共通質問>
今後3年で成し遂げたいことは?



たじま・こうじ
◎1990年、東京生まれ。コンセプトアーティスト。2011年に日本電子専門学校を卒業し、フリーのCGモデラーとしてキャリアをスタート。12年からDNEG(旧ダブル・ネガティブ)シンガポール支社に所属(後にバンクーバー支社)、コンセプトアーティストに。18年、インダストリアル・ライト&マジック(ILM)バンクーバー支社に移籍した。

文=秋山千佳

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