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ただ、そんな田島にとって、学校の美術の授業は楽しい時間ではなかった。「皆で同じように描く」という型にはめられるのが嫌だったのだ。成績は5段階評価で3、良いときで4だったという。

高校に入ると、英語の授業中はゲームをして遊んでいた。絵も「落書き程度しか描かなかった」と本人は回想する。だが同級生の証言は異なる。「モンスターを描いているときには話しかけても返事がないくらい集中していましたし、いまの片鱗はあった気がします。ただ、一気に変わったのは目指すものができてからです」。

3DCGとの出合いで劇的変身

高校生活も終わりが見えてきたころ、人生を変える転機が訪れる。

グラフィックデザインの専門学校を進路の第一志望にした田島は、専門学校の合同説明会に参加することにした。だが、絵を描く能力は、家族との比較ですら限界を感じていた。気が乗らないまま迎えた説明会当日、寝坊をして、昼前に会場へ駆けこんだときには志望校の説明は終わっていた。たまたま残っていたのが、コンピューターグラフィックス科のある学校だった。

「衝撃的な出合いでした。3DCGが何かよくわからないまま話を聞いてみたら、絵がそんなに上手でない僕にもできそうだとわかり、未来がはっきり見えた気がした。担当者に夢中で質問していたら、いつのまにか夕方。誰もいなくなっていました」

田島の心を最も掴んだのは、卒業生の中にハリウッド映画に携わっている人がいるということだった。2年間勉強すればそういう道がある、と聞いた田島は、その瞬間、心に誓った。

「この学校に入って2年後にハリウッド映画に携わる。世界一を目指す」

なぜ一瞬にして強く決意することができたのか。


写真=ヤン・ブース

「それ以外、何も希望を持てることがなかったんです。勉強も運動もだめで、2Dで絵を描くのもうまくいかない。そんなときに、ハリウッドで楽しそうな仕事があると知り、『これだ!』とひらめいて、死にもの狂いでやろうと決めました。絵の技術がなくとも大丈夫と言われたのも大きかったです」

18歳の田島は日本電子専門学校に入学し、ゼロからのスタートを切った。そこからは猪突猛進だった。「不器用なぶん人より時間をかける」と決め、授業が終わっても学校にいられる限り残って自習し、休日も勉強にあてた。一点の課題に何十もの作品を仕上げ、さらに他のクラスの課題まで勝手にこなす。好きだったゲームやマンガも封印した。「絵を描いていない間に他の人より下手になるのが怖かったし、学校の中で負けていたら世界一なんて無理だと思っていた」からだ。

その結果、入学時点では経験者に及ばなかった実力は、1年後には学内で断トツのレベルに達した。

文=秋山千佳

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