ライフスタイル

2019.08.22 20:00

粋な贈り物の思い出。「恋が叶う魔法のインク」から手書き文化に思う


さて、お気に入りの万年筆とインクを用意したら、書いてみたくなるのが人情というもの。僕自身はといえば、経営する京都の老舗料亭「下鴨茶寮」(連載第34回に詳しい)の全スタッフの誕生日には、ペアお食事券に直筆のメッセージを書き添えてプレゼントしている。スタッフは約200人。

よく知っているスタッフもいれば、そうでもないスタッフもいるので、後者の場合は総務部からそのスタッフに関するいろんなネタ──例えば「強面だけどケータイの待受画面は可愛い我が子の写真です」とか「ボストン生まれで英語がネイティブ、百人一首3段の北米チャンピオン」とか、キャラクターがわかる話を教えてもらう。

そうやってあれこれと相手のことを考えて何かを書く時間は、自分にとってもとても有意義なもの。日本人は年賀状は好きなのに、誕生日にカードを送る人は少ない。ハッピーバースデーハガキみたいなものがもっと日本で普及したら、手書き文化も残せるのにと思うのだが。

かけがえのない宝物

そういえば、京都が縁で知り合ったキョーラクの社長・長瀬孝充さんは「手書きの年賀状を送るのが趣味」だという。送る相手は友人や仕事関係者だけでなく、一度会って食事をした方だけの人までも!それを25年以上続け、いまではその数4300人超えだとか。当然、12月に入ってからでは間に合わないので、8月末から始め、会食前の喫茶店でも飛行場のロビーでも、空いた時間を使って毎日何枚か書いていくそうだ。

始めたきっかけや、続けられる理由を尋ねたところ、「仕事一筋で友達が少なかった父から、『たった一枚の年賀状で友情が続くから書くように』と勧められたんです」「いまは年賀状を書くことが敬遠されていますが、周りに不幸のなかった1年を感謝できるというのはありがたいものです」とのことだった。

この時代だからこそ、手書きは気持ちや感謝を込めることができる。書籍編集者は本を書いてもらいたい著者に直筆の手紙を書く、とはよく聞く話だが、僕も特別な企画に関しては、相手の方に直筆の手紙を出すことがある。想いのこもった手紙には相手の心を揺り動かす何かがあるのだろう。企画がスムーズに運んだり、お断りされたとしてもご本人から丁寧な返信が返ってきたりすることがある。

いただいた返信の中で特に忘れられないのが、高倉健さんからのお手紙だ。まず、僕が送った手紙と映画企画のプロット、プロットを読む際にイメージが広がるように添えたCDとコーヒー豆に対してのお礼が書かれ、ご自分の役者としての半生について思うところが書かれていた。

タイプアップされたものではあったが、選ばれた言葉一つひとつ、改行や一行アキから、健さんご自身の想いが伝わってきた。そして、文末のサインは万年筆での直筆。残念ながら一緒に仕事をすることは叶わなかったが、この手紙は僕にとってかけがえのない宝物である。

万年筆とインク、手紙セットを持ち歩き、ふとしたときに誰かに書く。それは、SNSでアップしたその他大勢に対する投稿とは違って、たったひとりの誰かのために書かれたもの。考えたら日本国内であれば封書はたったの82円、ハガキはたったの62円で届くわけで、相手を幸せな気持ちにするのにこれほど安上がりな方法もないかもしれない。


小山薫堂◎1964年、熊本県生まれ。京都造形芸術大学副学長。放送作家・脚本家として『世界遺産』『料理の鉄人』『おくりびと』などを手がける。エッセイ、作詞などの執筆活動や、熊本県や京都市など地方創生の企画にも携わっている。

この記事は 「Forbes JAPAN 社会課題に挑む50の「切り札」」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

タグ:

連載

小山薫堂の妄想浪費

ForbesBrandVoice

人気記事