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冨永愛

17歳でNYコレクションデビュー。一躍トップモデルに登りつめ、華々しく思える冨永愛の半生は、いつも「生きるか、死ぬか」という境目に立ち、生きることへの情熱を懸けた戦いだった。

コレクションモデルとして高い評価を受けながらも、2010年に引退宣言。その後は、テレビやラジオ、イベント出演など活動の幅を広げてきた。そんなさなか、母親として子育てに専念するため、2014年から2017年秋まで、人知れず3年間休業していた。

美しさと強さを持ち合わせ、女性からの支持も高い冨永。時の流れに身を任せつつ、変化を恐れずにキャリアを築いてきたと言えるだろう。

30歳未満の次世代を担うイノベーターを選出する企画「Forbes JAPAN 30 UNDER 30」のインフルエンサー部門アドバイザーとなった冨永が、これまでのモデル人生を振り返り、UNDER30に伝えたいメッセージとは。



生きる道を選んだ10代、モデルになる

私がモデルをやり始めたのは15歳。もともとファッションにもモデルの仕事にも興味がありませんでした。幼少期は活発だったという話も聞きますが、私自身は、おとなしく状況を読むのが得意な子だったと思っています。友達と群れるのがあんまり好きじゃなくて、近所の山の中で、一人で遊ぶのが好きだったんですよね。

小学校高学年ごろから他人と比べるようになった時も、自分を「変な体型」だと思っていたし、周りからもそう言われていました。幼少期から身長がすごく高く、人より頭一個分大きかったんです。

幼稚園、小学生から中学生まで、ずっと「人とは違う」と言われて生きてきて、いつも疎外感がありました。中学生の時は思春期ということもあり、どんどん内省的になっていき、「なんで生きているんだろう」とか「生きるか、死ぬか」といった死生観と向き合う日々を過ごしていました。

とりわけ音楽が好きなわけでもなく、スポーツも万能でもなかった。自分の中ではなんの取り柄もなかったのですが、幼少期から唯一「モデルさんみたいだね」と言われていました。中学生の頃、身長がさらに20㎝くらい伸びて、すでに175cmくらいありました。

そんな時、姉が「モデルをやってみれば?」と言ってくれて、たまたま雑誌の読者モデルのオーディションを見つけ、応募したのがモデルへの道のきっかけです。高校生の頃は、周りと同じようにギャルに憧れてミニスカートにルーズソックスを履いていました。

文=督あかり 写真=小田駿一

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