キャリア・教育

2019.08.18 19:00

追悼 瀧本哲史さん 30年来の友人が語る「天才の人間性」

写真:2019 株式会社フォニム

写真:2019 株式会社フォニム

今日は、ある人と私の思い出話にお付き合いいただきたい。8月10日、惜しまれながらも逝去された瀧本哲史君のことである。
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彼の業績や、仕事については多くの人が書くであろうし、すでに彼自身が自分の言葉を紡いでいる。であるから、そういうことではなくて、天才だった彼が、人間としていかに大きくあたたかく、やさしい人であったか。彼の性格や人となりについて書きとどめておきたいのだ。

大学3年になる春、マッキンゼーという、当時誰にも知られていない会社で、大学生向けに大変割の良いアルバイトがあった。なんと一週間で10万円もくれるというのだ。その内容は、今でいうインターンで、実は明確に就職活動だったのだが、そんなこととは知らなかった私はのそのそと面接に出かけて行き、無事10万円を手にする権利を得たのであった。

バイトの当日に会社に行くと、6人ほど仲間がいた。そのうちの一人が、発想はぶっとんでいて、発言の切れ味も、あまりにすごい。それが瀧本君だった。バイトを通じて、彼とよく話をするようになり、彼が所属していた東京大学弁論部への勧誘を受け、私も入ろうじゃないか、ということになった。
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そして弁論部の活動や合宿などに参加していく中で、さらに彼と話をする機会が増え、彼の、次元の違う天才ぶりをより一層知ることになった。

彼は、いつも本質的にとてもポジティブなポジションを取る。そして一度ポジションを取ると、絶対ぶれないし、論の立つ弁論部の仲間をやすやす論破する。もちろん、たまに、ちょっと痛いところを突かれたりもする。でも、強引に論破していく。しかし、そんなやや強引でちょっとムキになってぶった切っていく時ですら、議論には嫌味なところが一つもないのは、どこか純粋で、素直な人を基本的に信じるという彼の性格によるのだろうな、と思っていた。


写真:2019 株式会社フォニム

卒業するとき、彼は法学部で一番の成績を取った。成績の計算は、留年者が有利になるため、主席卒業生に対して授与される金時計は一年留年していた先輩に譲ったものの、当然のように、法学部の助手になった。これは、東大法学部においてはもっとも優秀な人が取るコースで、助手として給与をもらいながら研究し、論文を書くと博士と同じ扱いになるのである。

マッキンゼーからも強く勧誘を受けていたけれど、「いつでも行けるからまずは助手になる」と言っていたのを覚えている。

卒業後は、直接会う機会はなかった。数年後、彼がマッキンゼーに就職した、と聞いた。そして、その後、マッキンゼーで彼の同僚であった川鍋一朗氏が日本交通の経営再建に従事する、という時に、川鍋氏を助けに日本交通に入ったとも聞いた。私と彼との直接の交流は一時途絶えていた。
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文=武井涼子

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