追悼 瀧本哲史さん 30年来の友人が語る「天才の人間性」

写真:2019 株式会社フォニム


そう、彼は決してお酒を飲む人ではなかった。「酔うと多少タガが外れて楽しいからたまにはどう?」と勧めたら「アルコールの脳細胞に与える影響」について一席ぶたれた後に、「頭がクリアでない瞬間は一瞬たりとも持ちたくない」「でも飲んでいる人と話しているのは面白い」という趣旨のことを言われたことがあった。

その話が相当おもしろかったので、その後、二度と彼にお酒は勧めないけれど、私はいつも好き放題飲んでいた。彼はそういう独特の気づかいもする人だった。

2012年くらいだったろうか。日本歌曲を世界に広める活動がしたくて、時間をもらって相談したことがあった。すると、「それじゃ、僕がまず200万円業務発注しますよ」と、ぽんと最初の活動資金にあたる収益を出してくれた。あの時の驚きは忘れられない。その資金があったから、ニューヨークで国連のイベントとしてコンサートを開催することも、さまざまな資料も整えることもでき、充実した活動の端緒ができた。

この活動は形を変えつつ、今はたとえば、浦安市の教育委員会の後援を得て毎年ワークショップを行うまでに発展しているが、そんな過程もあたたかく見守ってくれていた。収益が出たら、今度は真っ先に彼に私が仕事をお願いして、200万円発注し返す予定だと繰り返し伝えていたのだが、まだトントンか赤字でそうなっていないことが悲しい。でも、私の活動を見ている中で、真っ当な文化事業の収益化はとても難しいことも感じてくれてもいた。


写真:2019 株式会社フォニム

その頃の瀧本くんは、『僕は君たちに武器を配りたい』(講談社)という、彼にとって初めての本を出し、NHKのニュース番組「NEWS WEB24」で初代のネットナビゲーターも務めるなど、最も忙しい時期であったろう。そんな中、時間を使ってくれたことには感謝しかない。

もしかしたら、大学時代からの気の置けない友人だし、自分の思ったことを言っても大丈夫な相手、そして多少は面白い反応が返ってくる相手と思って貰えていたのかもしれない。日本歌曲の活動の話だけではなく、投資先の話や学生の話、行政の話、そして日本の可能性の話……いろいろな話を聞かせてくれた。彼の天才ゆえの悩みであろうことなども聞いた。これは、公の場ではさすがに書けないなぁ。

当時、私は離婚したばかりで、彼は独身でそろそろ結婚したいかも、と思っていたこともあって、結婚についてもよく話をしていた。まだメールが主流の時代だったけれど、時にはメッセンジャーかのようにやり取りしていたなぁと懐かしく思い出す。

彼にかかると結婚も「アラフォーの高学歴高収入男性市場」と「同様条件の女性市場」の比較となり、「男性に一定の市場があるのに対して、女性には市場はほぼない。でも、可能性が全くないわけではなく、あるのはこういったところ」と、本質を突いた指摘の後に、その狭い可能性の中で私に誰か紹介しようと具体的に動いてくれるといった具合だった。
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文=武井涼子

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