ベーブ・ルースの伝説と共に歩んだバット会社

1948年、ヤンキースタジアム開場25周年及び背番号3の永久欠番式典に出席するベーブ・ルース。(Photo by Library of Congress/Corbis/VCG via Getty Images)

ベーブ・ルースが建てた家と呼ばれているヤンキースタジアムは、世界中で最も有名な野球場だろう。伝統と格式のある名門球団の本拠地として、長い歴史の中で、数々の名場面を生み出してきた球場だ。豊富な話題を提供し続けてきたこの球場について、これまで多くのライターがあらゆる視点で、様々な切り口で興味深い記事を書いてきたので、今更、何を書くことができようか。そんなことを考えていたら、あるバットのことを思い出した。

1948年6月13日、ルースはヤンキースタジアムでの試合前に行われた開場25周年及び自身の背番号3の永久欠番記念式典に出席した。現役時代の背番号3のユニフォームを着て、ヤンキースタジアムのグラウンドに立ったルースは、末期の癌に罹患していた。衰弱した体を支えるために、ルースはあるバットを使った。約5万人の観客に向かって、擦れた小声で、開場後初の本塁打を打ったヤンキースタジアムの式典に出席できたこと光栄に思うと、簡単に挨拶をしたが、彼の最期の姿には、大きく力持ちで、傲慢で素行不良だった現役時代の面影はもはやなく、哀愁だけが漂った。ルースが建てた家に姿を見せたのは、その日が最後だった。彼はその2か月後の8月16日に53歳の若さでこの世を去った。

手元に一枚の写真がある。ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙のナット・フェインが、観衆の前に立つルースの衰えた体を背後から撮影した写真だ。フェインは、「The Babe Bows Out」と題したこの写真で1949年にピューリッツア賞を受賞した。この写真は、野球関係の書籍等の表紙によく使用されているので、野球ファンでなくとも、一度は見たことがあるのではないだろうか。

実は、ルースが杖代わりに使ったバットは、彼のものではなく、その日のヤンキースの対戦相手のインディアンズの先発投手のボブ・フェラーから借りたバットだった。ルースは、グラウンドに姿を現すまで、インディアンズのダッグアウトでフェラーと雑談をしていたのだ。

速球王ボブ・フェラーがルースに貸したバットは、チームメイトによって収集家に売却され、その後、何人かの手に渡ったが、1995年にフェラーの生まれ故郷であるアイオワ州バン・メーターに自身の博物館をオープンした際に、9.5万ドルで買い戻した。博物館には、このバットを始めとする数々のメモラビリアを展示していたが、2010年のフェラーの死去に伴い、博物館の会員数が激減してしまい、2014年に閉館。同博物館に展示されていたメモラビリアは、インディアンズの本拠地プログレッシブ・フィールド内に完成したボブ・フェラー博物館に移されることになった。
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文=香里幸広

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