ベーブ・ルースの伝説と共に歩んだバット会社

1948年、ヤンキースタジアム開場25周年及び背番号3の永久欠番式典に出席するベーブ・ルース。(Photo by Library of Congress/Corbis/VCG via Getty Images)


僕はこのバットがどうしても見たくなり、クリーブランドへ向かった。博物館は、プログレッシブ・フィールドにある会員制クラブの一角にあった。

ボブ・フェラーのバットは、1884年創業の100年以上の歴史を誇る老舗バット・メーカー、ルイビル・スラッガー社製の「125」。この「125」は、ルイスビル・スラッガーが創業時から一貫して製造・販売しているシリーズ名だ。これは、創業者が初めて販売した時のバットの値段が1ドル25セントだったので、「125」にしたという。つまりバットの値段がシリーズになったのだ。

ルースもこの「125」を愛用していたが、彼は、本塁打を打つたびに、ルイビル・スラッガーの楕円形のロゴマークの周囲に切り込みを入れていた。1927年にシーズン60本塁打を記録した時に使用していたバットには、21個の切り込みがあったという。つまり、1本のバットも折らずに、同じバットで21本塁打も放ったわけで、ルースの打撃技術を裏付ける証拠ともいえる。また、このルースのバットは、最近はほぼ使われなくなったヒッコリー(クルミ科)製で、長さは35.5インチ(90.17センチ)、重さは38.5オンス(1090グラム)。現在においては、トレーニングで使用するマスコットバットの重さだ。

ルイビル・スラッガーは、ヤンキースタジアムが開場した1923年にバット市場で初めてトップに立ち、以来、メジャー・リーグでは圧倒的なシェアを誇り、ベーブ・ルース、タイ・カッブ、ルー・ゲーリッグ、テッド・ウイリアムズなどを筆頭に殿堂入り野手の約80%、メジャーリーガー全体の約60%、累計で1.8万人のメジャー・リーガーにバットを供給してきた。ルイビル・スラッガーがここまで成功した背景には、ベーブ・ルースの功績によるところが大きい。ルースは、本塁打を量産し、観客を熱狂させた。ルースに憧れ、ルースを真似し、ルースを追い越そうと、他の多くの選手も同社のバットを使用するようになった。ヤンキースタジアムがルースが建てた家であるなら、ルイビル・スラッガーは、ルースが成長させた会社だ。

ケンタッキー州ルイビルにあるルイビル・スラッガーのバット博物館・工場の正面には、高さ120フィートの巨大バットがあり、この博物館・工場のシンボルとなっているが、これは、ルースが1920年代に使用していた「R43モデル」の巨大レプリカだ。2008年に閉場した旧ヤンキースタジアムの正面入口前にも、高さ138フィートの巨大なルイスビル・スラッガーのバットの形をした排煙筒があったが、このバットもまたルースのバットをモデルにしている。


ケンタッキー州ルイビルにあるルイビル・スラッガーのバット博物館・工場の正面には、高さ120フィートの巨大バットがある(著者撮影)。
次ページ > 時代と共に歩む

文=香里幸広

ForbesBrandVoice

人気記事