そんな演劇の面白さにのめり込んだ私は、幸運なことに、1990年に日米合作映画『クライシス2050』でハリウッド映画に出演するチャンスを得ました。アメリカと日本の現場を行ったり来たりしながら、20代で日米両方のモノづくりの価値観と出会えたことはとても大きな出来事でした。
まずアメリカに行って驚いたのは、「こういうシーンが撮りたい」となったら、必要な機材やレンズまで自分たちでつくってしまう「ゼロイチ力」。まだこの世にないものをつくってしまうという自由な発想にしびれました。
日本だと決められた時間や予算の中できっちりパフォーマンスを出すことが評価されるものですが、アメリカでは自由な発想でゼロイチを生み出すことにこそ時間やお金をかける、そんなエンターテインメント業界全体の底力を肌で感じたのです。
「!」と「?」を観客に与えることが表現のすべて
私が20代で感じた自由なモノづくりは、CGや特殊効果、インターネットなどのテクノロジーの発達でますます加速しました。映像やコンテンツのつくりかたも大きく変わったように感じます。
例えば映画では、アウトプット時のテクノロジーに軸足を置いて、そこから逆算して撮影することも多くなりました。フィルムで撮っているときのように、現場でこだわらなければいけないことも減り、できることが増えました。好きな風景を後から付け足したり、顔を変えたり、いたはずの人を消すこともできますからね。
そんなテクノロジーや技術が発展していったとき、それでも人間にしかできないこととはいったい何か。何が観る人の心を感動させるのか。それは、結局「人間の想像力の素晴らしさ」しかありません。つまり、イマジネーションとクリエーション、日本語で言えば「創造」。これからますます本当の意味での「創造」が大切な時代になるのではないでしょうか。
では創造とは具体的にどんなことか。特に私が関わっているエンターテインメントの世界における創造とは、観客に「!」と「?」の2つを与えることだと私は考えています。
「!」とは、「へえ、知らなかった!」「こんなことができるなんて!」「その通り!」など、驚きや発見、共感のこと。「?」は、「なぜ?どうして?」と自己や外に向けて感じる疑問や追求、答えを知りたいと思う気持ちです。それこそが、アートを含めた「表現」の存在価値のすべて。この2つを与えられてこそ、広い意味でのアートだと言えるのではないでしょうか。