あいちトリエンナーレの分断に思う。「豊かな感受性」はどこへ?

「あいちトリエンナーレ2019」シンボルマーク

「#あいちトリエンナーレを支持します」

いまから約2週間前、ツイッター上に流れてきたハッシュタグとともに、地元・愛知県内で8月1日に開幕した3年に1度の芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」に関するニュースを見かけた。今回はジャーナリストの津田大介が芸術監督をするということもあり、「情の時代」というコンセプトにも惹かれて、ちょうど見に行こうと思っていたところだった。

まず、「情の時代」のコンセプト文からの抜粋を記したい。

「現在、世界は共通の悩みを抱えている。テロの頻発、国内労働者の雇用削減、治安や生活苦への不安。(中略)近代以降、どこまでも開かれ、つながっていくことへの渇望がグローバリズムを発展させた。しかしその一方で、ひたすらに閉じて安心したいという反動が今日のナショナリズムの高まりを支えている。両者の衝突が分断を決定的なものにし、格差は拡大し続ける」

皮肉にも今回の一連の流れによって、「衝突」に火がつき、「分断」が露わになった。

最初に目にしたニュースは、あいちトリエンナーレの展示会のひとつ「表現の不自由展・その後」で展示されていた「平和の少女像」に対して、河村たかし名古屋市長が、展示の中止と撤去を大村秀章愛知県知事に対して要請する、と発表したものだった。少女像は、従軍慰安婦をモチーフにしたキム・ソギョン、キム・ウンソン夫妻による2011年の作品。「この展示によって問題と直面し、考える機会になれば」と、私も冒頭のツイートをした。

ニュースには「抗議の電話や脅迫のFAXも殺到している」との情報も含まれていたが、「アートが政治的な介入をされることはない」と思っていたため、その時はまだそれほど深刻に捉えてはいなかった。

すると、事態は急展開を迎えた。8月3日限りで「表現の不自由展・その後」の展示中止となることが決定したのだ。まさか、と思った。河村名古屋市長の要請や、また脅迫や扇動的な声にこんなにも早く屈するのか。正直、残念な思いでいっぱいだった。

芸術監督である津田大介の会見によると、河村市長の発言を受けた措置ではなく、あくまで安全管理上の判断だという。津田は、「京都アニメーション」の放火殺人事件を受け、開幕前から中止せざるを得ない状況も想定をしていたことも明かし、「想定を超える事態となってしまった。円滑な運営ができないと判断したことをお詫び申し上げます」と謝罪した。

立場上、展示中止に対して謝罪することは必須だっただろうが、事態を沈静化させるために展示会の中止という決断に踏み切ったのは、本当に適切だったのだろうか。テロ行為への屈服ではないか。これまでの自身の経験とも絡み、やるせない感情が込み上げてきた。
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文=督あかり

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