あいちトリエンナーレの分断に思う。「豊かな感受性」はどこへ?

「あいちトリエンナーレ2019」シンボルマーク


私は学生時代、東北アジア研究のゼミに所属し、朝鮮半島や中国、日本の近現代史の観点から、安定かつ平和的な国家間の関係性を構築するためにはどうすべきか、という研究をしていた。国際関係学上の壮大な問題だが、学生の立場で未熟ながらも向き合おうとしていた。

東北アジアの研究に興味を持ったのは、些細なことからだった。子ども時代に、私の苗字が漢字一文字であったことから、私のことについて「実は中国人らしい」「本当は韓国人かも」などと、噂されることがよくあった。まだ幼かったので、歴史的な背景も知らず、なんでそのように言われるのだろう? と素朴に疑問を持った。そしてなんとなく両国に対して親近感も抱いていた。

さらに興味を深めたのが、2010年夏、大学1年生の頃のフィールドワークで、中国東北部の企業見学をした際に感じた違和感からだった。

中高生だった頃、北京五輪や上海万博の際に「中国は威信をかけて経済成長し、GDPで日本は追い抜かれる」といった連日の報道を見て、必要以上に焦りを感じていた。しかし、大学生となって実際に私が目にしたのは、広大な大地と牧歌的な雰囲気。街中では確かに高層ビルの工事が昼夜問わず続き、エネルギッシュだったが、出会った人たちはのびのびと暮らしていた。いい意味で報道とのギャップを感じたのだ。

東北アジアを未来志向で考える


2011年夏、「東アジア平和人権キャンプ」で訪れた中朝国境で

翌年の2011年夏に、中国と北朝鮮との国境にある街・延辺朝鮮族自治州にある延辺大学であった「東アジア平和人権キャンプ」に参加し、日本人や韓国人、朝鮮半島にルーツがある中国朝鮮族の学生たちとともに3日間フィールドワークをして、議論をした。お酒を飲みながら、交流を深めたのも懐かしい。

延辺朝鮮族自治州でのフィールドワークでは、日本の植民地支配からの独立運動の犠牲者をまつった「三・一三反日義士陵」という文字が刻まれた墓標を見て、なんとも言えない恥ずかしさや悲しさ、やるせなさを感じて、しばらくその場を動けなかったことを思い出す。


日本の植民地支配からの独立運動の犠牲者をまつった墓標

日本で暮らしていると、なかなか感じられない「加害者」側としての近現代史の現実を感じ取ったのだ。現地では歴史として刻まれている現実と向き合い、そこから発する反日感情を過去の現実として、未来志向で考えるべきだという思いにも至った。
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文=督あかり

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