「瀬戸内国際芸術祭2019」で感じたアートと地域の可能性

作家:草間彌生 作品:No. na01 赤かぼちゃ 撮影:青地大輔


瀬戸内国際芸術祭は、地域への投資といえるでしょう。前回の芸術祭での約140億円という経済波及効果は、観光のみならず、地元の人材の雇用創出につながっており、アートという共通言語で地域を語る、コミュニケーションの場にもなっています。

では、瀬戸内国際芸術祭のようなイベントを作っていくにはどうすればよいのでしょうか。
 
それには、内外の顧客ニーズを徹底的に調べること、そして地元の理解と協力を得ることです。そのうえで、単年度の計画では終わらせない、持続可能なビジネスモデルを必要とします。
 
仮に予算が少なくとも、先述した瀬戸内ガストロノミーのように、地元の素材や人材を活かせば、世界に二つとない食によるアートの体験を提供できます。

これは食に限ったことではありません。例えば、上記の画像の眞壁陸二の作品のように、瀬戸内の地域資源を活かした作品の前でゆっくりとした時間を過ごすことは、唯一無二の体験につながります。地域にはこうしたかたちで活かせる資源がいっぱいあります。

そして何より大切なことが、明確なビジョンを描くこと。何のためにこれをやるのか、どんな世界を実現したいのかをイメージし、共有することです。全国各地の芸術祭を見る限り、明確なビジョンを掲げているものとそうでないものが、はっきりと分かれています。

アートには無限の可能性がある

全国の地域では、少子高齢化や財政難が取りざたされています。しかしながら瀬戸内国際芸術祭のように、アートと地域をビジネスの手法を取り入れて掛け合わせることができれば、地域には無限の可能性を引き出すことができます。


作家:木村崇人 作品:「カモメの駐車場」 撮影:Osamu Nakamura
 
「日本人は審美眼がない」といわれますが、「侘び寂び」に代表される日本固有の精神性は、現代においても世界中の人々を惹きつけてやみません。

一時期の富や時流に左右されない、時代や社会的な地位を超えた価値である「侘び」、そして古いものの内側から滲み出てくる美しさを指す「寂び」は、自然をありのままに受け入れてきた日本人が世界に誇る芸術性です。すなわち、アートとは自然とともにあること、自然とともに生きることだといえるのではないでしょうか。

私は今、豊かな自然とともに暮らしている地域に携わりながら、日本はそうした精神性に立ち返る時期が来ているように感じています。

なぜなら、アートの視点で見ても、ビジネスの視点で見ても、地域には資源と呼ぶにふさわしい自然があり、自然とともに暮らし続けている人たちの営みがあるからです。そしてそのほとんどが手付かずであることを考えれば、地域には無限の可能性があると思います。
 
今、アートという言葉の向こう側には、人と自然が共生する新しい未来があるのではないでしょうか。

連載:地域経済とソーシャルイノベーション
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文=齋藤潤一

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