世界38カ国、800万人が愛読する経済誌の日本版


大学卒業後、私は小さなグラフィックデザインファームに入って、デザイナーのアシスタントとしてキャリアをスタートしました。大学ではデザインの基礎が大事にされていて、あまりパソコンやソフトウェアの使い方などのテクニカルなことは教えてくれなかったんですよ。だから入社後は他の人たちに比べて知識が足りなくて苦労しました。

最初の職場では、クリエイティブというより、堅めなコーポレート系のデザインをしていました。ボストンと近郊の大きな病院や企業、大学などのニュースレターやウェブサイトなどの制作ですね。

堅い現場だったので、デザインに関するルールも結構厳しかったんですよ。ロゴの使い方には色やサイズなどの細かい規定があるし、すでにいろんな決まりがある中でデザインすることが多かった。正直、つまらなかったですね。

でも人生って面白いと思うのは、その時つまらないと思っていたことも、後になって振り返ると、トレーニングの一部になっていること。企業的な視点からのクリエイティブのルールが分かるので、自分のブランドにも生かせています。



解雇されて「チャンス」をつかむ

20代初頭に、2年間働いていたそのデザインファームをクビになりました。2003年のことです。ニューヨークで同時多発テロが発生した影響で、アメリカの経済が悪くなり、いろんな企業でリストラが行われ、一番立場が低い人たちから解雇されていきました。私もその一人だったんです。

東京に戻って音楽活動をしていたVERBALから「東京に来て働いてみない?」と誘われましたが、急に違う国へ行くのもキャリアや生活の先が見えませんでした。だから1年間は、ボストンにあるショッピングモールのアパレルのお店でアルバイトしていたんですよね。家賃を払うため、生活をするためでした。

でも、その間もVERBALからは、ずっと「東京に一度来てみたら」と言われていました。私も「若いし、いいか」と思い、2003年12月末に初めて日本に来ました。最初は日本語が話せなかったので、環境に慣れるまでに少し時間がかかりました。だけど、父親がアメリカの軍隊に入っていたので、生まれてからハワイやカリフォルニアなどいろんな場所に引っ越し、韓国にも5、6年住んだことがありました。アジアの文化にそこまでの違和感はなかったですね。

日本に来たことは、私にとって「チャンスだな」と思いました。最初は言葉が通じないので、VERBALから紹介してもらった小さなグラフィックの仕事をやったり、アメリカの友達が東京で始めたグラフィック会社を手伝ったり。そこからスタートしましたね。CDや本、アパレルブランドのグラフィックなどを手がけました。

ファッションに関わるようになったのは、VERBALがメンバーとして活動するユニット「m-flo」のスタイリングを手伝ったことがきっかけです。当時の日本ではラップというジャンルがあまり理解されていなくて、スタイリストさんがステレオタイプのラッパーのイメージのままの、当時の彼らには合わない衣装を持ってきていたんです。「これはまずいな」と思って、レコード会社からバジェットを預かって自分たちでステージ衣装を揃えるようになりました。

文=督あかり 写真=小田駿一

VOL.16

稼ぎたい、モテたい。シンプルな欲求で始まっ...

VOL.18

「違和感」こそが、新しいチャンスを連れてく...

PICK UP

あなたにおすすめ