がん宣告から5年。「地味な大学教員」だった私がアートを始めた理由|脇田 玲 #30UNDER30

アーティスト、計算機科学者の脇田 玲

慶應義塾大学環境情報学部教授であり、アーティストの脇田玲。流体力学や熱力学のモデルに基づくソフトウェアを開発し、アルスエレクトロニカ・センター、文化庁メディア芸術祭、MUTEKなど国内外の芸術祭で数多くの作品を発表してきた。

30歳未満の次世代を担うイノベーターを選出する企画「Forbes JAPAN 30 UNDER 30」のサイエンス部門アドバイザーに就任した脇田。

脇田がつくる作品は、日常において目に見えず知覚することのできない情報をデザインとエンジニアリングの力で可視化する。例えば、2014年に発表した「Furnished Fluid(家具付けられた流体)」は私たちが日常でほとんど意識することがない空気の流れに着目したヴィジュアライゼーションである。


Furnished Fluid

「教授になって、上から仕事が降ってくることもあまりなくなった。これから何をしようかなというときに、がんになってしまったんです。アートを本格的に始めようと思ったのはそれからで」

それまで「本当に地味な大学の先生だった」と自ら語る脇田玲の人生は、それ以降大きく変わった。これまでの人生、そして死と直面した経験から学んだこととは。



建築からコンピューターグラフィックスへ

僕はいまでこそアートの活動をやっていますが、昔は違いました。SFCに入学したときも明確な強い意志をもっていたわけではなくて。というか、そこにしか合格しなかったんです。

高校時代は進学校で、テストの点数が全ての環境がとても息苦しかった。家と学校の往復でひたすら勉強、息抜きはたまにゲームセンターに行ったりピザ屋に行ったりするくらい。当時はとてもじゃないけど夢なんて描けなくて、とにかく狭い社会から逃げ出したくて勉強をしたんです。

入学当初は建築家を目指していました。だけど、明確な意志や目標を持って建築の勉強をしようとしている同級生たちのモチベーションに圧倒されてしまったんです。

当時は中国の経済発展が始まろうとしていた時期で次は経済学を学ぼうとしたのですが、これもどうも違う。さて何をしようかと考えていたときに、コンピューターグラフィックスに出会いました。
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文=石原龍太郎 写真=小田駿一

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30 UNDER 30 2019

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