がん宣告から5年。「地味な大学教員」だった私がアートを始めた理由|脇田 玲 #30UNDER30

アーティスト、計算機科学者の脇田 玲


複雑系の科学とか数値流体力学は現象の追及と記述までだけど、それをアートとしてつくると、自分が見た世界を世の中に投げかけられるんですよ。そこで対話が生まれて、いろんな人と話をするのが楽しくてね。

僕は格好つけて納得して死ぬためにアートを、アートとサイエンスを始めたんです。もっと生きたい、死にたくないっていう最後じゃなくて、自分なりに納得して生きたぞと思いながら死ぬためにやってきたのがこの5年間の僕の活動なんです。

いま人生100年時代とか、老後の貯蓄が2000万円必要だとか言われているじゃないですか。いや、大事なのはそんなことじゃない。死に対してどう納得して今を生きるかということこそが大事で、今をとにかく熱く生きることが幸福につながると思うんですよ。

人生ってめちゃくちゃ非線形だし、時間も空間もゆがみまくっている。ゴールに向かって生きていくだけが正解じゃないですよね。

自分が何をやりたいか、もんもんと悩んでいるのが若者だと思います。でも、非線形の人生だからこそ、何をするかよりも「どこに身をおくか」の方が大切だと思いますね。そっちの方が、実は後からじわじわと効いてくるんじゃないかなって。

1960~70年代、ユタ大学ではVRの始祖とも言われるアイヴァン・サザランドが教鞭をとり、3次元CGの研究をしていました。当時のユタといったら何もない田舎ですよ。しかも、当時3次元CGはほとんど注目されない研究テーマだった。

けれど、サザランドがラボを開いていたたった7年の間に、パーソナル・コンピュータの父と言われるアラン・ケイ、アドビ創業者のジョン・ワーノック、PIXAR創設者のエドウィン・キャットマル、Netscapeの創設者ジム・クラークなど、そこからものすごい人材が輩出されました。

当時そこで何が起きていたのかは知るよしもありませんが、そこで共有したビジョンやマインドセットが重要だったことは間違いありません。僕が起業したときに出入りしていた西早稲田のシェアオフィスも、もしかするとそういう環境だったのかも知れませんね。

身を置いている環境で交わされる議論や、ビジョンの共有が自分の人生を変えてくわけじゃないですか。自分の身を置く環境を積極的に考えて、自分を演出していくことはとても大切だと思いますね。




わきた・あきら◎アーティスト、計算機科学者。2002年に慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科博士課程を修了し、博士(政策・メディア)の学位を取得。ヴィジュアライゼーションとシミュレーションを用いてこの世界を再解釈するための作品を制作している。これまでにARS ELECTRONICA、MUTEK、文化庁メディア芸術祭、日本科学未来館、清春芸術村などで作品を展示。慶應義塾大学SFC環境情報学部教授。

脇田 玲が「サイエンス部門」のアドバイザリーボードとして参加した「30 UNDER 30 JAPAN 2019」の受賞者は、8月23日に特設サイト上で発表。世界を変える30歳未満30人の日本人のインタビューを随時公開する。

昨年受賞者、「スーパーオーガニズム」でボーカルをつとめる野口オロノや、昨年7月にヤフーへの連結子会社化を発表した、レシビ動画「クラシル」を運営するdelyの代表取締役・堀江裕介に続くのは誰だ──。

文=石原龍太郎 写真=小田駿一

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