がん宣告から5年。「地味な大学教員」だった私がアートを始めた理由|脇田 玲 #30UNDER30

アーティスト、計算機科学者の脇田 玲


人工生命が分野として確立されてきたころで、ものすごい熱気を帯びた領域でした。 生命現象そのものにはあまり興味がなかったんですが、それが作り出す不思議な形や動きに惹かれていった。計算でできているのに、どうしてこんなに有機的なんだろうと。そこから、生命の形をモデリングして映像をつくることに没頭しました。

もっと自分の技術力を上げるために3D CADの研究室に移籍して、4年生の頃にブラウザ上で3次元空間を作れるVRMLっていう言語を勉強していたら面白くなってしまい、そのまま大学院に進学しました。

23歳くらいのときに、僕の先生がベンチャー企業を作って、誘ってもらったのをきっかけにそこで契約社員として働き始めることになります。

そのとき海外出張によく行かせてもらったのを機に、シリコンバレーにいっぱい友達ができたんですよ。そこで出会ったデザイナーとかスタートアップの若い人たちは、みんな自分の人生を背負って会社をやっていて当時の僕には衝撃的でした。一方自分はベンチャー会社の下っ端。このままじゃいかん、と。

ちょうど同時期に、アルゴリズム建築をやっていた松川昌平さんと出会ったんです。彼は理科大を出てすぐ自分で会社つくっていた。そういう仲間がいることに刺激を受けて、26歳でドクターを取ったあとに会社をやめて起業をしました。

その当時、西早稲田にあったシェアオフィスによく出入りしていたのですが、そこにはブレイク前の建築家や起業家たちが入り浸っていて、彼らとよく建築や情報科学の文脈から議論をしたり、一緒に作品を作ったりしていました。

その後、会社を2〜3年やったあと、29歳のときに大学に戻ることになります。僕が知らない間にデザイン系の授業がいくつもSFCにできていたんですが、その担当者が辞めちゃって、半分ぐらい休講になっていたんです。

それを立て直してほしいと言われて、専任講師として大学教員になることにしました。デザインなんてやったこともなかったけど、母校からの依頼だったのもあって、自分のバックグラウンドである情報科学をベースにデザインの授業を立て直そうと。


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文=石原龍太郎 写真=小田駿一

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